「東アジアの思想」という話-023

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「東アジアの思想」という話-23

【『荘子』の思想的世界-2】
《荘子が目指したもの》
『荘子』は、今でこそ老荘思想の一つと考えられていますが、荘子自身がそう考えていたのかは疑問です。

『史記』では、荘子は「あらゆる学問に通じていた」と述べられています。ですが、その後に、「然(しか)るに其の要は老子の言に本を帰す」とあります。「荘子の思想は老子の言が基本になっている」というのです。

いや確かにそれはそうです。老子の思想が基本になっています。しかし、です。きちんと老子の思想のみを継承しているかと言うと、それは違います。荘子には老子と異なる思想があります。

ぼんやりとしたとらえようもない思想の二つをどう区別するのか、私たちには理解しにくいです……。まるで霞(かすみ)と霧(きり)を区別しろと問われているようなものです。
cf.
春が霞で、秋が霧です。夏霧・冬霧も季語にありますので、春だけ霞でしょうか……。

さて、『史記』が書かれたのは、前漢の武帝の時代です。

紀元前136年に、武帝は五経博士を置き、儒学(儒教)を国教化しました。

儒学(儒教)が国教になるにあたって、思想統一がなされました。

『易経』の正統が孔子の『論語』です。

・『易経』→『論語』→『孟子』→『荀子』

道家の老子は、儒家の孔子によって「易」の解釈が歪(ゆが)められたと告発しました。

『易経』のもう一つの流れが老子の『老子』です。

・『易経』→『老子』→『荘子』

この流れですと、当然『荘子』は『老子』の後継です。

ですが、儒学から『易経』から『老子』までの「易」の解釈の流れを考えてみましょう。

・『易経』→「歪んだ易」の『論語』→「三義」の『老子』

儒学では『易経』に『老子』を内包してしまいましたから、広い解釈では道家の玄学も儒学の一部です。しかし、明らかに異端です。

相手の思想を取り入れ、自身の思想を広め深め、その上で相手の思想を否定する――いつものやり方です。

たとえば、ヒンドゥー教のシヴァの化身のマハーカーラは、仏教に取り込まれて大黒天になりました。海を渡った日本では、仏教の大黒天は神道の大国主神と習合して、神道の大黒天として七福神の一柱になっています。「破壊と再生」の神も台所に祀られるとは思わなかったでしょう。

さて、「荘子の思想は老子の言が基本になっている」ために、『荘子』は異端に所属してしまいます。

しかし、荘子は孔子を認めています。それ以外の儒者は否定していますが……。

「蘇軾(そしょく)(蘇東坡(そとうば))は、『荘子』を読み、荘子は孔子を助けようとした人だと言っています。確かにそういう見方もできるくらい、荘子は孔子その人に対してはある種の敬意を払っています」
――玄侑宗久『荘子』(NHK出版、2015年)P12

とするならば、荘子は『論語』を基本として、『老子』のレイヤーによって歪みを解消して、「易」を述べていると言ったほうが正解かもしれません。#joke

・『易経』→「歪んだ易」の『論語』→(「三義」の『老子』)→「易」の『荘子』

荘子は老子の後継者ではなく、むしろ孔子の後継者であるといった流れを考えるのは楽しいものです。
※私見です。

こうした「妄言」が許せるのも『荘子』の魅力です。荘子は言葉を信用していません。「言葉は風や波のようだ」(「人間世篇」)と語っています。そして、「妄言するので、妄聴してね」(「斉物論篇」)です。

老子の憂いが現実となり、孔子の語る「易」の歪みを如実に感じていた荘子は、それだけ傷ついたのかもしれません。

【「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話】リスト(16+35+号外1)

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