「沈黙」という話-014

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「沈黙」という話-14

【世界一周】
1522年に、フェルディナンド・マゼランとゆかいな仲間たちが世界を一周します。教科書にも載っているスゴイ出来事ですが、注意してみましょう。「マゼランとゆかいな仲間たち」です。キリスト教徒のマゼランは航海半ば、1521年にイスラム教徒に殺されています。ですから、残ったキリスト教徒のゆかいな仲間たちが世界を一周しました。

より詳しく言えば同じキリスト教、同じカトリック教会ですが、「ポルトガル人のマゼランとスペイン人のゆかいな仲間たち」です。当時、ポルトガルとスペインは不仲でした。

1494年のトルデシリャス条約で、東をポルトガル・西をスペインとした教皇子午線を少し西にずらしました。地球は丸いですから、そのずらした分はポルトガルの領土が少なくなります。とはいえそれがアジアのどこにあるか、まだ分かっていませんでした。

しかし、スペイン人のフアン・セバスティアン・エルカーノ率いるゆかいな仲間たちが、今のインドネシア共和国のモルッカ諸島=香料諸島から帰ってきます。香料を売って大金持ちです。そもそもこの航海自体が香料を得るためのものでした。

香料は高く、昔はシルク・ロードでやってきましたが、一説によれば400倍の高値がついたそうです。たとえば、S&Bの「テーブルコショー 20g」はだいたい200円ぐらいですが、ざっと8万円(!)という計算になります。(2017年3月現在)

ちなみに、大航海時代の前はヴェネツィア経由でした。当然、ヴェネツィア商人はウハウハでした。ウィリアム・シェイクスピアの作品に『ヴェニスの商人』があります。劇中、ユダヤ人のシャイロックがキリスト教に反論していますね。別の機会にしましょう。

1529年に、トルデシリャス条約の反対側として、サラゴサ条約が結ばれます。東経144度30分から、ポルトガルのマカオの利権が確定されます。イコールそれは、世界がポルトガルとスペインの二つに分断されたことを意味します。

フランス、イギリス、オランダは面白くありません。

【ヴァスコ・ダ・ガマ】
トルデシリャス条約から、ポルトガルは西回り航路に消極的になります。だってブラジルより西は全部スペインなんですから。

ですから、東回り航路を模索し、ポルトガル人ヴァスコ・ダ・ガマが1498年にインドに到達します。インド航路の発見です。ヨーロッパ人の言う「発見」にはもう飽きましたよね……。

ポルトガルは武力によってインドを制圧します。それまで普通に生活していた人たちを蹂躙します。意味はご理解いただけるかと思います。

ここに、西はブラジルから東は日本までの、植民地と交易によるポルトガル海上帝国が誕生します。

【緯度と緯度】
〈緯度〉
長い航海に必要なのは、現在位置を知ることです。緯度は夜の北極星や太陽から判断できますが、経度は時計が必要です。

クリストファー・コロンブスが正確に西へ西へ航海できたのも緯度を簡単に知ることができたからです。

〈経度〉
時計の必要な経度は、2点の太陽の南中時刻の差から判断します。日本標準時(JST)は、協定世界時(UTC)より9時間早いので、東経135度です。兵庫県の明石市(東経135度)で太陽が南中した時刻の9時間後に、イギリスのグリニッジ天文台(経度0度)で南中します。
※【注意】正しくは、グリニッジ標準時(GMT)と協定世界時(UTC)とは違います。

なお、時計については、前述の「「沈黙」という話-10」【時計】を参照してください。ただし、まともな時計ができたのは1759年のことです。時計職人ジョン・ハリソンの手によるクロノメーター「H4」です。1714年の経度法によりイギリス議会から懸賞金が出ていましたが、庶民のハリソンは公式に授与されませんでした。

【フェルディナンド・マゼラン】
ポルトガル人のマゼランが、なぜスペインの艦隊を指揮していたのでしょうか。

マゼランはポルトガルの下級貴族でした。当時は出自で出世が決まっていた時代です。マゼランはポルトガルのために働きますが認められず、果ては横領の疑いまでかけられてしまいます。――嫉妬でしょうね。シェイクスピアが四大悲劇の『オセロー』で嫉妬を“The greene-ey’d monste”「緑眼の怪物」と表現しています。

マゼランはポルトガルを捨て、スペインに向かいます。従兄弟のフランシスコ・セラーンが遭難して、香料諸島に流れ着き優雅に暮らしているという手紙が届いたからです。

当時のスペインは焦っていました。ポルトガルはインド航路で莫大な富を得ていたからです。それに、アメリカ大陸には香料はない(!)のです。東回り航路を確保できないスペインは、西回り航路を選びます。

当時の人は、アメリカ大陸は東アジアの大きな半島だと思っていました。コロンブスは死ぬまでアメリカをインドだと思っていたぐらいです。

マゼランは、西回り航路によってポルトガルより安く仕入れることができること、そしてその場所がトルデシリャス条約により確定されたスペイン領だと訴えます。

結果、ポルトガル人マゼランがスペイン艦隊の指揮を執ります。

さて、この金を誰が出したか、です。翳りゆくヴェネツィアでしょうか? いいえ。ヴェネツィアやジェノヴァの商人は、インド航路からすでにポルトガルでの利権を確保していました。流石シャイロック!

実は、この件には贖宥状が深く関わっているのです。

【「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話】リスト(16+36+号外1)

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