「東アジアの思想」という話-036
「東アジアの思想」という話-36 【唐の女】 《則天武后》 〈傾国の美女〉 唐の第2代皇帝太宗(李世民)は、貞観の治から大唐帝国を築きました。しかし、偉大であればあるほど継ぐ者は大変な労力を強いられます。 第3代皇帝高宗…
「東アジアの思想」という話-36 【唐の女】 《則天武后》 〈傾国の美女〉 唐の第2代皇帝太宗(李世民)は、貞観の治から大唐帝国を築きました。しかし、偉大であればあるほど継ぐ者は大変な労力を強いられます。 第3代皇帝高宗…
《Topics》 ようこそ♩ とりあえず「あまり一生懸命になるな」という話だけは読んでくださいね。 「あまり一生懸命になるな」という話 ***** 【お知らせ】 【お知らせ】リスト 【「第三の視点」による倒叙記述】 【「…
【参考文献その他】「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話 興味を持たれたなら、きちんとした本を読んで勉強してくださいね。 【参考文献その他】「沈黙」という話 1) *『沈黙【連載】田中泰延のエンタメ新党』 http…
「東アジアの思想」という話-35 【四知】 後漢の楊震(ようしん)の言葉に「天知る、地知る、子知る、我知る」があります。楊震は博学でしたから「関西の孔子」と呼ばれました。この「関西」とは、函谷関(かんこくかん)から西を意…
「東アジアの思想」という話-34 【三教】 三教とは、儒教・仏教・道教です。三教一致を諷する「三教図」という画題になっています。孔子・釈迦・老子が並んで描かれるなど、アブラハムの宗教では考えられない構図です。 ただし、儒…
「東アジアの思想」という話-33 【仏教】 《中国の仏教》 仏教は、後漢初期には中国に流入していたようです。 儒教は現実的な教えですが、仏教は深遠です。教義も戒律も受け入れやすかったので、中央アジアに広がりました。 儒教…
「東アジアの思想」という話-32 【南北朝時代】 《南朝》 南に逃れた東晋のあとの、漢人の四朝(宋・南斉・梁・陳)を南朝と呼びます。対して、北朝(北魏・東魏・西魏・北斉・北周)は異民族です。 〈六朝〉 呉(三国)の首都は…
「東アジアの思想」という話-31 【清談】 《党錮の禍》 後漢の桓帝・霊帝のときに、党錮の禍(とうこのか)という事件がありました。儒者でもある官僚が、汚職まみれの宦官による専断を咎めたのですが、逆に弾圧されてしまったので…
「東アジアの思想」という話-30 【晋】 《西晋》(265年―316年) 魏(三国)に代わって、権臣司馬炎(武帝)が晋を建てます。首都は後漢・魏(三国)と同じく洛陽です。なお、平安京の左京(東京)は洛陽にたとえられ、今で…
「東アジアの思想」という話-29 【前漢-3】(紀元前206年―紀元後(西暦)8年) 第13代平帝の時、新都侯に封じられた王莽(おうもう)によって、前漢は滅亡します。首都長安が、後漢(東漢)の首都洛陽の西にあたりますから…
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