「東アジアの思想」という話-027

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「東アジアの思想」という話-27

【『荘子』の思想的世界-6】
《井の中の蛙》
「井の中の蛙」は『荘子』「秋水篇」からです。「蛙」は、松尾芭蕉の「古池や 蛙飛びこむ 水の音」と同じ読み方です。

意味は、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の燕雀と似たような感じです。
cf.
『「東アジアの思想」という話-13』【秦】〈陳勝呉広〉
https://ik137.com/eat-013

「井の中の蛙」は、世間知らずや見識の狭いことです。後半が略されていて、正しくは「井の中の蛙大海を知らず」です。

確かに、井戸の中の蛙では、大海を知らないのは無理がありません。実際に、蛙が海で泳いだら浸透圧→脱水で大変ですが……。
※淡水と海水が混ざった汽水(きすい)に生息棲むカニクイガエルがいるそうです。

この諺から派生して、「井の中の蛙、大海を知らず、されど空の蒼さを知る」「井の中の蛙、大海知らねども、花は散りこみ月は差し込む」という言葉もあるようです。素敵だとは思いますが、外で使ってはいけません。原典の『荘子』の意味はぜんぜん違いますので、本当に「井の中の蛙」になってしまいます……。

「井蛙は以て海を語るべからざるは、虚に拘ればなり。夏蟲は以て氷を語るべからざるは、時に篤ければなり。曲士は以て道を語るべからざるは、教えに束ねらるればなり。今爾は崖涘を出でて、大海を観て、及ち爾の醜を知れり。爾将に与に大理を語るべし」
――『荘子』「秋水篇」

「井の中の蛙と海を話せないのは、凹みしか知らないから。夏の虫と氷を話せないのは、暑い季節しかいないから。考え方がおかしい人と道を話せないのは、偏見にとらわれているから。今あなたは川岸を出て、大海を見て、自身の愚かさに気づいた。ようやく一緒に真理を語ることができる」

黄河の水神の〈河伯(かはく)〉は自分が一番だと思い込んでいましたが、実際の大海を見てビビッて、北海の神である〈若(じゃく)〉に「思い上がっていました」と言って反省しました。

そこで、〈若〉が言ったのが「今あなたは川岸を出て、大海を見て、自身の愚かさに気づいた。(『井の中の蛙』ではなくなったので)ようやく一緒に真理を語ることができる」です。

「井の中の蛙」は、自分から言うような言葉ではありません。

「井の中の蛙」と言ったのは、先生です。生徒は反省している状態です。そこで、先生が「今まで分からなかっただろうけれど、これから大切な話もできるよね」と声をかけてくれています。「いっしょに話そうね」と言ってくれています。

そう考えると、別の意味を後付けされた「井の中の蛙、大海を知らず、されど空の蒼さを知る」「井の中の蛙、大海知らねども、花は散りこみ月は差し込む」の醜さ(愚かさ)が理解できるのではないでしょうか。

地動説になったのに、いつの間にか天動説に戻っています。こうしたことは、よくあることなので、注意してください。

【「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話】リスト(16+35+号外1)

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