「沈黙」という話-6
【東南アジアの植民地-1】
〈インドネシア〉
ナス科の多年草であるジャガイモは、インドネシアの首都ジャカルタに因みます。
ジャカルタは、1619年にオランダ東インド会社によって占領されてしまい、バタヴィアと名を変えられます。バタヴィアはオランダの古い部族の名前です。屈辱的です。
占領した支配者は、自分たちに縁する名前を付けます。アメリカ合衆国の“The City of New York”の前の名前は、「ニューアムステルダム」でした。どの国が植民地にしていたか分かりますよね?
1942年に、日本軍がバタヴィアを占領し、ジャカルタへと名を戻します。けれど、1945年8月15日に日本が負けてしまいます。
また、キリスト教のオランダの恐怖です。イスラム教のインドネシアはどうしたか?
※現在でもインドネシア人の多くがイスラム教です。
日本が負けて二日後の1945年8月17日に、インドネシアは独立を宣言します。
しかし、認めないオランダと戦争になります。インドネシア独立戦争(1945年―1949年)です。
さて、負けてしまった日本兵は、どうしたでしょうか? 多くは懐かしの我が家、愛しの日本に帰ったのですが、残る人もいました。
残って、インドネシア人と一緒に、オランダと戦った(!)んです。
その戦争を描いた『ムルデカ 17805』という映画があります。「ムルデカ」はインドネシア語で「独立」です。“17-8-05”は、皇紀2605年(1945年・昭和20年)8月17日です。多分に日本の影響力があります。
この人たちは真剣に、列強諸国からの解放・インドネシアの独立を信じていました。
(中には帰ったらヤバイ人もいたようですが……。)
そうまでしてアジアの独立を夢見た日本ですが、その理由は何だったのでしょうか?
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