「東アジアの思想」という話-005

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「東アジアの思想」という話-5

【三代】
〈夏(か)〉
〈殷(いん)〉
〈西周(せいしゅう)〉

〈夏〉(―紀元前1700年ごろ)
中国最古の王朝夏は、文学資料が登場する前の先史時代です。17代439年つづいたそうです。最後の君主である桀(けつ)は、美女妺喜(ばっき)に溺れ、政(まつりごと)を疎かにし、諫言する者を殺し、殷の湯王(とうおう)を牢につなぎます。許された湯は徳を修め、賢人伊尹(いいん)の力を得て、桀を討ちます。

伊尹は阿衡(あこう)と称されます。「阿」は「たより」、「衡」は「はかり」の意味ですから宰相ですね。

ちなみに、日本の仁和3年(887年)に阿衡の紛議が起こります。藤原基経(ふじわらのもとつね)が、宇多天皇(うだてんのう)にケンカを売って勅書を改作(!)させました。仲裁したのが菅原道真です。菅原道真は右大臣まで昇進しますが、左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ流され没します。

〈殷〉(紀元前1700年ごろ―紀元前1000年ごろ)
湯王が、夏の桀を倒して、帝位につきます。殷は、氏族制による社会で、氏族が連合して部族となって、部族が連合して都市国家を形成していたようです。

栄枯盛衰と言いますか、殷もやがて滅びます。最後の君主である紂(ちゅう)は、美女妲己(だっき)に溺れ、政を疎かにし、諫言する者を殺し、後に文王(ぶんおう)と諡(おくりな)される周の姫昌(きしょう)を牢につなぎます。許された姫昌は徳を修め、その子の武王が賢人呂尚(りょしょう)の力を得て、紂を討ちます。

夏の滅亡と似ていますね。というかそっくりですが、これはたぶん殷の出来事を夏にあてはめたようです。中国では、「前の王朝は、次代の王の幽閉・傾国の美女・諫言者の殺害・豪奢な宴会、次の王の優秀な補佐人によって滅ぼされる」のです。なお、紂の豪奢な宴会を酒池肉林と言います。この場合の肉は乾肉です。おっぱいではありません。

武王を補佐した呂尚は、姫昌の祖父である古公亶父(ここうたんぽ)太公が望んだ人でしたので、太公望(たいこうぼう)と呼ばれます。太公望は釣り人のことをさしますが、これは文王が太公望にあったときに釣りをしていたからだそうです。もっとも釣り糸は水面に届いていなかったとか、釣り針がまっすぐだったとかいろいろ言われています。

太公望は、文王に兵法を指南します。こちらが『六韜(りくとう)』と『三略(さんりゃく)』です。けっこう有名な本で、浄瑠璃の『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』で、牛若丸(源義経)が鬼一法眼からパクるのが『六韜』と『三略』です。

『鬼一法眼三略巻』を知りませんか? 横溝正史『犬神家の一族』の菊人形のアレです。

『解説『犬神家の一族』スケキヨの素顔』はこちらをどうぞ。
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『三略』は黄石公(こうせきこう)が、漢の張良にあげた本です。靴を落として拾えと言う黄石公に、秦の始皇帝を暗殺できなかった張良(ちょうりょう)がしぶしぶ拾うのです。学んだ張良は、劉邦(りゅうほう)を助けます。劉邦は前漢の初代皇帝になります。

この黄石公の話は、『西遊記』にも「絵」として登場していて、東海龍王に謙虚にしなさいと諭された孫悟空が三蔵法師にしぶしぶ従うことになります。

「天下は一人の天下ではなく、天下の天下なのです。天下の利と同じくする者は天下を得ますが、天下の利をほしいままにするなら天下を失います。天に時があり、地に財があります。これと共にする者は仁です。仁のあるところは、天下もこれに帰ります。人の死を免れ、人の難を解き、人の患を救い、人の急を救う者が、徳です」――『六韜』

良いことが書いてあります。単純に言えば、天下の利と同じくする者(君主)による、財の再分配です。ただし、この「天下」は中国だけです。四夷は含まれていません。

もっとも『六韜』『三略』は、後人の作なので偽作ですが……。言い忘れましたが、「虎の巻」は『六韜』の一巻です。

〈西周〉(紀元前1000年ごろ―紀元前770年ごろ)
武王が、殷の紂を倒して、帝位につきます。氏族制の連合国家から、周は王室中心の王朝支配となります。周代初期に、中国最古の文学である『書経』『詩経』のいくつかの文がつくられました。

12代の幽王(ゆうおう)は、美女褒姒(ほうじ)に溺れ、政を疎かにし……。いつものパターンです。申侯の率いる北西辺境の犬戎の軍に攻められ、幽王は殺され、西周は滅亡します。

【春秋時代】(紀元前770年―紀元前256年)〈東周〉(紀元前770年―紀元前403年)
13代平王(へいおう)が、前770年に洛邑(今の洛陽)に遷都します。これ以後を東周と言います。

周王室の権威が衰え、諸都市国家が力を持ち、抗争が始まります。

【知の萌芽】
紀元前551年に、孔子が生まれます。

ゴータマ・シッダールタ(後の釈迦)もだいたいこの時代です。
※80歳で入滅したのは間違いないんですが、生没年代が紀元前566―紀元前486年や、紀元前463―紀元前383年など諸説あります。

地球の裏側では、紀元前469年ごろにソクラテスが生まれ、紀元前427年ごろにプラトンが生まれています。やや遅れて前384年にアリストテレスが生まれています。アリストテレスの生年に「ごろ」とつかないのは、暦がしっかりしてきたからです。

偉大な思想家はだいたいこの時期です。

広い意味では、アリストテレスがソクラテスとプラトンの後継者であるように、孔子の後継者が孟子(紀元前372年―紀元前289年)と荀子(紀元前313年ごろ―紀元前238年)です。

孔子と孟子の間には、墨子(ぼくし)(紀元前480年ごろ―紀元前390年ごろ)がいました。墨子の思想は、「兼愛」と「非攻」です。およそ儒教とは全く違う異端思想は、後のイエス・キリストの言葉と似ています。

ただし、イエス・キリストだけが、この時代より500年ほど後になります。その思想は荒廃した当時としては特異であり、奇妙なものでした。

異端だった墨子の思想は、滅びゆく清朝末期に、西洋文化を解明する過程でキリスト教との近似が研究されることになります。

【「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話】リスト(16+35+号外1)

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