「嫌われる」という話(bad-side-1)
「嫌われる」ことを極端に恐れる人は、学びが足りないだけでしょう。
あなたの心が正しいと思うことをなさい。してもしなくても、どちらにせよ批判されるのですから
——エレノア・ルーズベルト
この世界、何をどうしても嫌われますよ。では、どう勉強したらよいのでしょうか。
人間、好き嫌いというものはあります。嫌いなものはどうしたって嫌いです。でも、公言する必要はないですし、ましてや攻撃する必要もありません。
たとえば、嫌いな食べ物があったとしても、最初から注文しなければいいことですし残してもかまいません。
「躾(しつけ)ができていない」と言われるかもしれませんが、選択を選べないのは不幸です。ましてや強制するなんて独裁者ですか? #joke
「勉強する」しか独裁を防ぐ方法はないんですよね。
——田中泰延
『独裁者の部屋』
http://www.nhk.or.jp/jp-prize/dictator/interview03.html
あるていど勉強したなら、「嫌われる」ことがあるという事実を学びます。
イスラム教徒に豚を食べさせようとしたり、ヒンズー教徒に牛を食べさせようとしてはいけないのです。これは好き嫌いではなく、生き方ですから。違う生き方を強制してはいけません。
ましてや、食物アレルギーの人に原因食物を食べさせようとするのは犯罪です。無知は罪です。「嫌いな食べ物」と「食べられない食べ物」をいっしょにしてしまうのですから。
蕎麦アレルギーの人と小麦粉アレルギーの人が食事をするのに、蕎麦にするか饂飩にするか喧嘩していませんか。蕎麦アレルギーの人が饂飩を食べて、小麦粉アレルギーの人が蕎麦を食べればいい話です。もっとも、蕎麦の場合は小麦粉が入っている可能性が高いですけれど。#blackjoke
あるいは、別の食べ物を食べればいい話であって、相手のアレルギーを非難するのはおかしいですよね。
簡単に変えられない、どうしようもないことを非難するのは小人です。
相手の境界線を越えて、話してはいけません。誰しも譲れないものはあります。それを踏み躙んではいけないのです。
ともあれ、一番美味しいものを食べれば、食べられるようになることは多いです。けれど、根本的に嫌いなものはどうしても好きにはなれませんよ。
人も同じように、その人の一番良い面(Good side)を知れば、「嫌い」から「気にならない」範囲に落ち着きます。
それに、どのような罪人でも、必ず良い面(Good side)の一つや二つはあるものです。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』カンダタがそうですね。
それを罪でもないのに攻撃するのは小人です。実際に罪だったとしても、裁判以外で裁くのは法治国家として許されることではありません。
過去、多くの独裁者が暴動から私刑により殺害されていますが、法治国家であれば裁判で裁く必要があります。裁判を受ける権利を無視するのは、どう考えてもおかしいからです。独裁者が行ってきた方法で、独裁者を裁くのは愚かにもほどがあります。学ばなければ、結局また誰かが独裁者になるだけのことです。その誰かが自分かもしれないのに……。#blackjoke
勉強していない人ほど裁き(ジャッジ)が好きです。そうそう簡単に人を裁けるものではありません。裁判では長い審理を経ます。みんなの税金で。それを自身の狭い視野で考えても、否定しか出てこないのが道理です。
cf.
「東アジアの思想」という話-27
【『荘子』の思想的世界-6】《井の中の蛙》
考え方が異なるので嫌いはあるけれど、認めないのは分からない。拒絶するのも解らない。犯罪は別として。人格を否定するのは、理解をこえて不明です。根性が腐った人にも人権があります。
— 門松一里 (@ichirikadomatsu) March 30, 2018
考え方が異なるので嫌いはあるけれど、認めないのは分からない。拒絶するのも解らない。犯罪は別として。人格を否定するのは、理解をこえて不明です。根性が腐った人にも人権があります。
Twitterでは、ミュートなりブロックがあります。簡単に「嫌いな言葉」「嫌いな人」を排除できます。わざわざ攻撃する必要はないからです。
それに、生産性がないのですよ。相手に嫌われることをしても嫌われるだけですから。#joke
ただし、法曹の人は徹底的に攻撃します。思想ですから。#blackjoke
「性格悪い」には、単なる悪のバッドと邪悪なイービルがある。これ全く別だから。
— 門松一里 (@ichirikadomatsu) February 2, 2015
同じように「性格良い」にも、単なる善のグッドと聖のホーリーがある。これも全く別だから。
— 門松一里 (@ichirikadomatsu) February 2, 2015
気をつけなければいけないのが、愚かな善のグッドが実は狡猾で邪悪なイービルだった場合。もう最悪の結果になる。見分け方は、未必の故意を何度も繰り返すこと。「善良で愚かな私を助けて」で、助けようとする人を邪悪に染める。
— 門松一里 (@ichirikadomatsu) February 2, 2015
「性格悪い」には、単なる悪のバッドと邪悪なイービルがある。これ全く別だから。
同じように「性格良い」にも、単なる善のグッドと聖のホーリーがある。これも全く別だから。
気をつけなければいけないのが、愚かな善のグッドが実は狡猾で邪悪なイービルだった場合。もう最悪の結果になる。見分け方は、未必の故意を何度も繰り返すこと。「善良で愚かな私を助けて」で、助けようとする人を邪悪に染める。
ブロックされていることを知るのが嫌だという意見があるけれど、わざわざこちらが(意図的でなくても)相手を傷つけなくても済むようにしてくれているので、極めて良心的だと解釈できますよ?#joke
— 門松一里 (@ichirikadomatsu) October 1, 2017
相手に拒絶されたからといって、相手に非を求めないことです。相手は、別に法を犯した訳ではなく、人権を否定した訳ではありません。人権を尊重しているからこそ、人格を否定しただけです。#blackjoke
— 門松一里 (@ichirikadomatsu) October 1, 2017
ブロックされていることを知るのが嫌だという意見があるけれど、わざわざこちらが(意図的でなくても)相手を傷つけなくても済むようにしてくれているので、極めて良心的だと解釈できますよ?#joke
相手に拒絶されたからといって、相手に非を求めないことです。相手は、別に法を犯した訳ではなく、人権を否定した訳ではありません。人権を尊重しているからこそ、人格を否定しただけです。#blackjoke
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