「天雷无妄」という話
『易経(えききょう)』に「天雷无妄(てんらいむぼう)」という卦があります。
前述の「「休む」という話」のときなど、運命に止められた時に占うとよく出てきます。
これが出ると一安心で、「正道を歩むために今は休む時だよ」と教えてくれます。けれど、人間は愚かですからついついいつもの(間違った)ことをしてしまうのです……。#blackjoke
正しくは「无妄」で「間違ってはいないこと」です。「妄」は妄言や妄信など、誤っていること間違っていることですから、「无妄」は「妄(みだり)では无(無)いこと」から「間違ってはいないこと」になります。
「天雷」はその卦を表していますが、『機動戦士ガンダム』の「機動戦士」のような枕詞ですから無視してかまいません。#joke
本当は意味があるのですが、別の機会にしましょう。
cf.
『易経』という話-1
この卦の場合、よく「自然に任せる」「成り行きを見守る」といった表現がありますが、過ちに気づき反省する時という解釈もあります。
過ぎてしまったどうしようもないことは時間を経ることでしか解決できないことが多いのです。そんなときに変に手を入れてしまうと、正しく変態できなくなります。ようやく翼のある姿になろうとするときに、繭(まゆ)の中の蛹(さなぎ)を見てはいけません。
ただただ、待つしかありません。傷が癒えていないのですから運命と戦うことはできません。準備期間です。何をすべきか考える時間です。
そして、自らの過ちを認め、反省する時です。その上で、他の過ちも認めることです。
別にすべてを受け入れろと言っている訳ではありません。起こった事実を認めるだけのことです。
グッド・ウィル・ハンティング
しかし、罪なく陥れられたのなら訴える必要があります。
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ようやく自分の考える正しい道に歩める前にも、運命は歩みを止めます。準備が必要ですから。必至に泥濘(ぬかるみ)から這(は)い出てきたとしてもそのまま畳に上がることはできません。
着替えるにしても、まず泥を落とさなくてはいけません。風呂に入ってさっぱりしたいところですが、泥は固まり風呂場に入ることさえできません。
屋外で水を受けながら泥を洗い流し、怪我はないか病気はないか調べます。
だいたいそのときに、怪我や病気が見つかって、療養を言いつけられます。その時の卦が「无妄」です。
一つ一つ解決することです。
そうすれば、『易経』は憂いの瞳と和らいだ笑みの友人として常に隣にいるでしょう。
なお、言うことを聞かないと「无妄、復に之く」となり、病状は長引きます。#blackjoke
723991-艮兌離乾乾乾-山沢火天天天
・无妄、復に之く。――自然の流れのままに、中庸を守りなさい。目標(山)に対して仲間(沢)がいて情熱(火)もあります。正しいこと(天)をするのに病気を経て自分(天)をつくるのが自然(天)です。迷えば十年立ち直れません。
人間は、何かの結末に踊らされて生きているのではなく、その過程に見守られて生かされているのです。その一瞬一瞬が高貴な財産であり永遠の真理なのです。
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