「第三の視点」による倒叙記述(2)「第三の視点」

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「第三の視点」による倒叙記述(2)「第三の視点」

――(1)のまとめ――
「第三の視点」による倒叙記述(1)結論から伝える技術
https://ik137.com/howcatchem-1
【倒叙】
倒叙記述(パラグラフ・ライティング)――「結論から先に伝える、相手に伝わりやすい書き方」という話をしました。

要点は三つ。「倒叙」「第三の視点」「虚構サイン」です。

《倒叙とは?》
時間の順序を逆に、現在から過去に遡って述べることを倒叙法と言います。

転じて、推理小説で、犯人=悪役(ヴィラン)の側から述べることです。

《「推理」対「倒叙」》“whodunit” VS “howcatchem”
〈推理〉
ふつうの推理小説ですと、探偵=英雄(ヒーロー)が謎解きをします。最初は、誰が犯人か分かりません。“ハラハラドキドキ”話が進みますが犯人は分からず、“被害は増す一方”です。そして、アッという“どんでん返し”があり、探偵の推理から(結論として)犯人が分かります。

〈倒叙〉
倒叙はこの逆です。まず犯人が罪を犯します(完全ネタバレですね)。それをどうやって探偵が解いていくかが見物です。読み手は犯人が誰か知っていますから、“安心”して読めます。

「推理」は謎解きをしなければならないので、“かなり頭を使う”必要があります。当然、犯人は罪を犯しています。でも、それはいつなのか? どこでどうやって? 実際読んでいて、どれだけの人が気づけるでしょうか。そして、犯人が分かった瞬間に、ページを戻って確かめます。

ですが、「倒叙」は探偵を見守るだけですから、“単純に楽しめばいい”だけです。どうでもよさそうな細かな質問のあと、ようやく帰りかけた刑事コロンボが“思い出したように”「そういえばアレはどうでした?」と犯人に聞くのです。もちろんプロフェッショナルの“演技”です。

《倒叙――結論から伝える》
倒叙によって結論から伝えることで、相手(読み手)の負担が減ります。「推理」で謎解きができなくても、「倒叙」では犯人が分かっていますから、犯人を間違えることはありません。

倒叙はリーダーフレンドリー(Reader friendly)――読み手にやさしい書き方なのです。

*****

「第三の視点」による倒叙記述(2)「第三の視点」

【第三の視点】
《第三の視点とは?》
〈「いまの最善解」を導き出す〉
倒叙記述(パラグラフ・ライティング)――「結論から先に伝える、相手に伝わりやすい書き方」には、「第三の視点」を使わなければならないという話をしたいと思います。

「第三の視点」とは、ディベートルール(4)の「第三者を説得する」ための証拠資料(エビデンス)を使った、賛成(肯定)か反対(否定)かを判断する第三者から視点です。
cf.
瀧本哲史『武器としての決断思考』(星海社、2011年)P58、P196

どうして倒叙記述に「第三の視点」が必要なのでしょうか?

それは「100%正しいことなどない」からです。

学びがある人は、「正解がないのは当たり前ですよね?」と思われるでしょう。

歴史に鑑(かんが)みても、当時は正解だとされていても、後世では全くの誤りであったと考えられていることが沢山あります。

たとえば、天動説があります。天(太陽)が動いている訳です。実際には地球が動いているのですが、ローマ教皇が地動説を公式に認めたのは2008年(!)です。

ちなみに、アポロ11号が月面着陸したのは1969年です。いやまさか天動説で軌道を計算していたとは思えませんが……。#joke

さて、「100%正しいことなどない」「正解がない」なら、どうしたらいいのでしょうか?

論題(テーマ)を決め、「さまざまな意見を戦わせることで、より優(すぐ)れた答えを導き出すため」(※)に議論(ディベート)を行うことです。
※瀧本哲史『武器としての決断思考』P45-46

議論(ディベート)によって、「100%正しいこと」や「正解」ではない「いまの最善解」が導き出されます。

ディベート思考の考え方
・正解ではなく、「いまの最善解」を導き出す
――瀧本哲史『武器としての決断思考』(星海社、2011年)P46

〈「第三の視点」による倒叙記述〉
結果から「いまの最善解」を知ってしまうと、賛成(肯定)であっても反対(否定)だと認めざるをえないこともありますし、絶対に間違っていると思っていたことが全く正しかったと考え直したりできます。

これが、「第三の視点」によるディベート的な考え方です。

第三者からの視点によって、賛成(肯定)と反対(否定)の両面を同時に考えることができます。客観的に、それぞれの根拠を一つ一つ検証していく訳です。この考え方の道筋が大切です。

実はいちばん重要なのは、どういう結論を出したかということ以上に、どういった思考を経てその結論を導き出したかということなのです。
――瀧本哲史『武器としての決断思考』(星海社、2011年)P68

ディベート思考の考え方
・結論の内容以上に「結論にいたる道筋」が重要
――瀧本哲史『武器としての決断思考』(星海社、2011年)P69

実際に「いまの最善解」が誤りだったときは、「結論にいたる道筋」が正しければ、「誤ったところから修正すればいい」だけのことです。誤りがあっても、思考の工程が無駄にならずにすみます。

「第三の視点」による倒叙記述は、最初(原因)と最後(結果)という時間線と、賛成(肯定)と反対(否定)という思考線を、思想の地図にしたものです。

〈悪意の想像力がない人は、愚者である〉
しかし、どうでしょう。当事者ならば。書き手〈発信者〉として、賛成(肯定)の立場があり、(科学的にも歴史的にも思想的にも間違っているけれど)正しいと言わなければならないとしたら? ――不幸です。

より言えば、賛成(肯定)の立場にいることで、「自分の考えていることが100%正しい」と勘違いしてしまう人がいるということです。そして、危険なことに、それを疑わなくなってしまうのです。

何度も繰り返しますが、倒叙記述によって、書き手〈発信者〉は伝えたいことを、読み手〈受信者〉に伝わりやすいように記述することができます。

しかし、書き手〈発信者〉が伝えたいことは、読み手〈受信者〉が知りたいことでしょうか? 本当に読み手〈受信者〉のメリットになるのでしょうか?

そこに悪意があればどうでしょう?

とても困りますよね。けれど、仲人口(なこうどぐち)です。人は都合の悪いことは言いません。全員が全員、善人ではないのですから。

悪意の想像力がない人は、愚者である。

他の悪を責めてはいけません。それはそうしたものです。

悪意の伝染から、書き手〈発信者〉と同じように、「自分が信じていることが100%正しい」と勘違いしてしまう人があまりにも多いのです。そして、危険なことに、それを疑わなくなってしまうのです。

読み手〈受信者〉ならそれも分かりますよね。洗脳されている訳です。けれど、書き手〈発信者〉がそう思っている場合は、検証できませんよね?

なぜなら、書き手〈発信者〉がどう考えているか、それを判断する証拠資料(エビデンス)が、読み手〈受信者〉には与えられないからです。

伝えたいこと(情報)は、あくまで書き手〈発信者〉→読み手〈受信者〉の一方通行です。これは小説(書籍)だけではなく、映画や絵画・音楽といったものも同じです。必ず〈発信者〉→〈受信者〉です。逆はありません。

この一方通行には、もう一つ時間の流れがあります。上映中の映画や演奏中の音楽は時間を止めて考えることはできません。ですが、書籍は「これはさきほど出てきたよね」と戻って読み直したり、結末を読んで犯人を知ることができます。

書籍は最初から、倒叙記述(パラグラフ・ライティング)――「結論から先に伝える、相手に伝わりやすい書き方」をしなくても、倒叙による読み方ができるのです。

これまでは〈発信者〉にとって都合のよい、伝えたいこと(メリット)だけを発信していました。一方通行ですから〈受信者〉はその伝えたいこと(メリット)だけを受け取るしかありませんでした。

〈発信者〉は、伝えたくないこと(デメリット)が何かを明らかにしたくないですし、〈受信者〉に考えさせたくないですから、伝えなくてもよかった訳です。なにしろ判断するべき証拠資料(エビデンス)を持っているのが、〈発信者〉だけだったからです。

読み手〈受信者〉は、書き手〈発信者〉が伝えたいこと(メリット)だけしか知ることができません。読み手〈受信者〉が不利益になるような、書き手〈発信者〉が伝えたくないこと(デメリット)を知ることはできないのです。

一方だけに情報の取捨選択権があり、一方にはない。とても不公平な状況です。

〈「第三の視点」による思想地図〉
今まで〈発信者〉→〈受信者〉という一方通行だったものが、「第三の視点」によって、〈発信者〉の立場から考えられるし、〈受信者〉の立場からも考えられる状況ができます。

議論する相手を論破したり、相手側の意見を変えさせる必要などないのです。
――瀧本哲史『武器としての決断思考』(星海社、2011年)P59

冷静な、「第三の視点」から物事を判断するには、証拠資料(エビデンス)が必要になります。ディベートであれば賛成(肯定)であっても反対(否定)であっても提出されます。証拠資料(エビデンス)を確認せずに、常識で答えるのは、過去データの引用に過ぎません。それは感情論です。

〈受信者〉に証拠資料(エビデンス)があれば、どうでしょう。上映中の映画や演奏中の音楽は時間を止めて考えることはできませんが、データとして手元にあれば。

データがあれば、映画であっても音楽であっても、自由に「証拠資料(エビデンス)」を使うことができます。どのような媒体であれ、クライマックスを何度も観たり、サビを何度も聴くことができます。

そこに“ハラハラドキドキ”や、アッという“どんでん返し”はありません。

しかし、それは〈発信者〉が望んでいたことでしょうか。

ここに一つの課題があります。

“被害は増す一方”だった〈受信者〉は、受け取った後は何をしてもいいのでしょうか?

そういうことではありません。きちんと著作権があります。勝手に再配布したり、それによって利益を獲(え)たりするのは違法です。けれど、二次創作の作品はどうでしょう。この課題は長くなるので、また別の機会にしましょう。

《証拠資料(エビデンス)》
賢い人は伝えたくないこと(デメリット)の「裏をとる」ことで、証拠資料(エビデンス)を手に入れていました。しかしその証拠資料(エビデンス)が正しいかどうか不安になりませんか?

証拠資料(エビデンス)には、「(1)資料の拡大解釈、(2)想定状況のズレ、(3)出典の不備、(4)無根拠な資料」(※)という誤りがある可能性があります。
※瀧本哲史『武器としての決断思考』P209

今までの〈発信者〉は、そんなことをしたら台無しになると考えていた訳です。ですが、どうでしょう。「第三の視点」によって、賛成(肯定)か反対(否定)かを判断するとしたら?

倒叙記述によって、まず最初に結論があります。それを単に選ぶだけだとしたら?

その上で、〈発信者〉がメリットとデメリットと結論の三位一体に「(1)資料の拡大解釈、(2)想定状況のズレ、(3)出典の不備、(4)無根拠な資料」を設定(ボケ)に使うとしたら?

(1)資料の拡大解釈→ (1)それ言い過ぎ
(2)想定状況のズレ→ (2)それは違うでしょ
(3)出典の不備――→ (3)元から違うでしょ
(4)無根拠な資料―→ (4)真っ赤な嘘

ここまで設定(ボケ)をすれば、倒叙記述(パラグラフ・ライティング)――「結論から先に伝える、相手に伝わりやすい書き方」に、「第三の視点」という高度なディベート形式を使うことで、悪意をジョークに変化させることができます。

それがたとえ悪意でも、ジョークなら許せるかもしれません。もし本当の悪意なら、ブラックジョークにしましょうということです。#blackjoke

ですから、倒叙記述(パラグラフ・ライティング)――「結論から先に伝える、相手に伝わりやすい書き方」には、「第三の視点」を使わなければならないのです。

【参考文献その他】
*瀧本哲史『武器としての決断思考』(星海社、2011年)

【「第三の視点」による倒叙記述】リスト(10)

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