「沈黙」という話-005

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「沈黙」という話-5

【日本近隣の植民地】
日本は武装したまま引き籠もりましたから、植民地にならずにすみました。本気で話をするにも、軍隊を連れてくる必要があります。#blackjoke

しかし、近代までに、近隣のほとんどの国が植民地になりました。

〈マカオ〉
現在の中華人民共和国の特別行政区の一つです。旧ポルトガル植民地で、カジノで有名ですね。

1513年に、ポルトガルが中国の明と交易を開始します。居留権を得たのが1557年です。以来、カトリック教会の布教の拠点となりました。

1644年に、中国の明が倒れ、新しい清の管理下におかれます。

実際に、ポルトガルがマカオを植民地にしたのは、1849年です。阿片戦争(1840年―1842年)で、「聖人の国」中国の清が「夷狄の国」イギリスに負けたことが背景にあります。

〈台湾〉
台湾は、ポルトガル語で「美しい島(フォルモサ)」と呼ばれることがあります。これは16世紀半ばに、ポルトガルが発見したからです。原住民がいるのに何が発見か分かりませんが、「信者以外の異教徒は人間ではない」生物扱いですからね。#blackjoke

1622年、オランダ東インド会社が戦争を仕掛けて、1624年から統治をします。会社といっても、喜望峰より東では何をやっても構わないという許可を得た勅許会社でした。ジョークですよ。ジョーク。条約の締結とか植民地の経営とかをやっていました。軍隊付で。

1662年に、明の残党の鄭氏政権に破れ、オランダは撤退します。

その鄭氏政権も、1683年に清に負けてしまいます。ただ、清は積極的に領土としませんでした。台湾の原住民は「夷狄の人」=「化外の民」だったからです。「化外の民」とは、徳のある君主(清であれば皇帝)が人民を教化しようとしてもできない、教化の外の民という意味です。単純にいうと野蛮人です。

この時代に人権なんてないんですよ……。

清が台湾を化外の地としたことが後の沖縄に多大な影響を及ぼします。

清はこの間まで明だったのに、同じことをしています。経営者が変わったのに、同じラーメン出しているんです。#joke「聖人の国」については後述しますね。

〈沖縄〉
かなしい歴史です。

1871年(明治4年)に宮古島島民遭難事件がおこります。宮古島の人が遭難したのですが、台湾の原住民に殺されてしまったのです。日本は清に「どうしてくれるんだ!」と文句を言いましたが、清は「管理外だから知らない」と突っぱねます。

そこで1874年(明治7年)、日本は台湾に出兵(!)します。清はびっくりします。なぜか。1872年(明治5年)に琉球藩が設置されましたが、それまでの沖縄は琉球王国であり、大日本帝国と清の両方(!)が管理していたからです。

日本と中国の間にある琉球王国は、江戸時代から日本と清の両方に貢いでいました。小国だからこそ両方の顔色を見なければなりませんでした。

かなしい歴史です。

〈朝鮮〉
1392年から1910年、李氏朝鮮は朝鮮半島を治めていました。

ただ、1392年から1644年までは、中国の明を宗主国とする冊封国でした。明に従属しています。

また、1644年から1897年までは、中国の清を宗主国とする冊封国でした。清に従属しています。

あれ?「聖人の国」が二つある?

はい。いっぱいあります。

朝鮮はそれまでずっと中国の歴代王朝に従属していました。それが、1894年―1895年の日清戦争に日本が勝利し、1895年の下関条約によって、朝鮮は中国王朝の呪縛から解放され近代国家となります。近代国際法〈万国公法〉による独立国、大韓帝国の成立です。

ここにようやくフランシスコ・ザビエルが夢見た東アジアでの華夷思想の解脱が実現します。

※植民地と冊封国の違いについては後述します。

【「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話】リスト(16+35+号外1)

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