「東アジアの思想」という話-35
【四知】
後漢の楊震(ようしん)の言葉に「天知る、地知る、子知る、我知る」があります。楊震は博学でしたから「関西の孔子」と呼ばれました。この「関西」とは、函谷関(かんこくかん)から西を意味しています。
また、潔白な人だったので、賄賂を受け取りませんでした。「四知」――「天地の神々も、君も、私も知っている」ので、悪事は露顕するという訳です。
ちなみに、函谷関は要所であり、老子のモデルとされる老耼が尹喜(いんき)という長官に「『道』について語ってほしい」と頼まれ、仕方なく書いたのが上下二篇五千字あまりの『老子』です。
他にも、「函谷関の鶏鳴」という故事があります。秦を逃れた孟嘗君が函谷関を過ぎようとしますが、夜間は開かない定めだったので立ち往生してしまいます。ですが、鶏鳴の真似の上手な従者がいました。他の鶏もつられて鳴いたので、関門は開かれ脱出できました。クダラナイ才能でも時には役にたつという話です。
「鶏鳴狗盗」という四字熟語にもなっています。もう一つの「狗盗」では、孟嘗君の従者は窃盗をしています。他にも「狡兎三窟」という有名な故事がありますが、別の機会にしましょう。
さて、隋の初代皇帝楊堅(文帝)は、楊震の末裔と称しました。しかし、文帝の子は煬帝ですからね……。
【唐】(618年―907年)〈武周〉(690年―705年)
《大唐帝国》
唐国公の李淵(高祖)が、隋の第3代世恭帝の禅譲を受けて建てました。禅譲=簒奪という公式はそのままです。都は隋と同じ長安です。
ともあれ、隋の滅亡は魔女の釜の蓋を開けてしまいました。群雄割拠の反乱分子を根こそぎ成敗したのが、次子李世民(太宗)です。そもそも、高祖の挙兵も、李世民の発案です。
626年、玄武門の変で皇太子である兄や弟を殺し、高祖に迫って譲位させました。李世民のやったことは、煬帝と変わらないのですが、この後、貞観の治によって唐は世界に名立たる大帝国になります。
さて、唐王朝は、誰の末裔と称したのでしょうか。――実は、あの老子です。
※老耼の姓は「李(り)」・名は「耳(り)」・字は「耼(たん)」(または伯陽(はくよう)です。
こうなってくると、劉備が、漢の景帝の皇子中山靖王の劉勝の後裔だというのも信憑性が……。「理屈と膏薬はどこへでも付く」ようです。
《唐の文化》
美しい中国文化です。「詩聖」杜甫、「詩仙」李白は誰でも知っているでしょう。白居易(白楽天)は『源氏物語』にも出てきます。
〈儒教〉
貴族全盛の六朝では儒教が衰退しましたが、中央集権国家である唐は統治の基本として儒教を根本としました。太宗の命により選ばれた「五経正義」という五経の注釈書は、官吏登用試験を受ける人の必読書になりました。思想の統一です。
〈仏教〉
『西遊記』のモデルになった玄奘が、膨大な経典を持ち帰り、翻訳しています。『般若波羅蜜多心経』――『般若心経』も玄奘が訳したものです。
なお、太宗が餞(はなむけ)の酒盃に土を弾き入れ、「むしろ郷土のひとつまみの土を恋(した)うとも、他郷の万両の金を愛するなかれ」(※)と玄奘に言う美しい場面があります。――が、虚構(フィクション)です。玄奘は密出国(!)しています。
※中野美代子訳『西遊記(二)』(岩波書店、2005年)「第十二回」P82
もっとも、玄奘が帰国したときには、密出国の罪を太宗は不問にしました。太宗がその重要性を理解していたということですし、名臣魏徴(ぎちょう)の諫言を聞き届ける賢人であったということです。『西遊記』や現実の玄奘については、別の機会にしましょう。
〈道教・その他〉
老子の末裔ですから、大切にされました。それは権力者が、「不老長寿」あるいは「不老不死」に手を染めることと同義です。多くの中毒者を発生させました。
唐代では、儒教・仏教・道教の三教の他にも、祆教(けんきょう:ゾロアスター教)、摩尼教(マニ教)、景教(ネストリウス派キリスト教)がありました。
大唐帝国がかくも外国文化に寛容だった理由は、各国が臣下の礼をとって朝貢してきたからです。
結果、奈良東大寺大仏殿の北西にある正倉院には、ペルシアの品もあるという訳です。
なお、ゾロアスター教はペルシアの預言者ゾロアスターが創始した宗教です。善神と悪神が戦い、善神が勝ちます。善神の象徴である太陽・星・火などを崇拝します。ゾロアスター教は、ササン朝ペルシアの国教でしたが、イスラム軍によって651年に滅びました。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』のツァラトゥストラは、ゾロアスターのドイツ語名です。かく語っているのはニーチェの思想であって、ゾロアスターではありません。
ついでに言うと、リヒャルト・ゲオルク・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』があります。映画『2001年宇宙の旅』の冒頭の曲だと言えば分かるでしょうか。
マニ教は、ゾロアスター教に、キリスト教と仏教をプラスした宗教です。
ネストリウス派キリスト教は、コンスタンティノポリス総主教ネストリウスを祖とするキリスト教の一派です。431年に、ネストリウスはエフェソスの宗教会議で異端とされたために追放されました。流れ流れて、ネストリウス派はシリア・ペルシア・インド・中国に伝わりました。
もっとも、三武一宗の法難の一つ、唐の武宗の廃仏によって、多くの文化が失われることになります。