「東アジアの思想」という話-18
【『老子』の思想的世界-4】
《「道」とは何か》
老子や荘子の思想は、道家思想です。「道」について述べています。
〈一般的な「道」〉
私たちが普段使う「道」は、単純に道路のことです。転じて、物事の条理や道理の意味になりました。
他にも、基準や専門技術のことをさします。諺としては、英語の“There is no royal road to learning.”――「学問に王道なし」です。
「幾何に王道なし」という故事もあります。プトレマイオス1世がアルキメデスに「幾何学を学ぶのに、エウクレイデスの『原論』より楽な道はないのか?」と聞いたとき、アルキメデスが「幾何に王道なし」と答えたとされています。信憑性はうすいようですね。エウクレイデスを英語読みするとユークリッドです。ユークリッド幾何学なら聞いたことがあると思います。
宗教の教義としての「道」があります。「仏の道」や「神の道」があります。なお、イラム教では「神の道」と「ジハード」は綿密な関係があります。後述しますね。
日本では、茶道・柔道など、武芸の一派をしめします。
〈儒家の「道」と道家の「道」〉
儒家思想にも、「道」はあります。模範や規律のことで、実践道徳です。「道」を具象化したものが「礼」です。目上の人や親への礼節が義務づけられています。
対して、道家の「道」は、儒家のそうした人間関係だけでなく、大きく宇宙まで広げています。森羅万象は「道」から拠っているとしました。
簡単にいうと、儒家の「道」は「人間」を表現していますが、道家の「道」は「自然科学」を表現しています。規模が無限です。
〈易の三義〉
道家の「道」を的確に表現しているのが、易の三義です。
ですが、本来の易は、プラス・マイナスの陰陽です。
実は、易の三義は『周易正義』にある鄭玄(じょうげん)という儒家の説です。なんのことはありません。道家の思想を儒家が取り入れて、易の解釈を変えてしまったのです。
「易は、本来陰と陽との二元論であるが、相対の奥には絶対的な究極存在があると考えられ、それを太極と名づけたものである。これは、老子(ろうし)の『道一を生じ、一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生ず』という一元統一論の影響であろう。後世、この太極を、宇宙を成立させている根元、あるいは宇宙を支配する原理と考えるようになったが、易の理論としてはやや異質のものである」
――松枝茂夫・竹内好監修、丸山松幸翻訳『易経』(徳間書店、1996年)P265
それだけ道教の思想が強かったということでしょう。易については、分かりにくいと思いますので後述します。
なお、『周易正義』は、638年に唐の太宗の命により選ばれた「五経正義」という五経の注釈書の一つです。官吏登用試験を受ける人の必読書になりました。
「道一を生じ、一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生ず」は、『老子』42章にあります。
こちらが、『易経』「繋辞上伝」では「この故に易に太極あり。これ両儀を生ず。両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず」となります。
――高田真治訳、後藤基巳訳『易経』(岩波書店、1969年)P243
この時代、著作権という考え方はありませんからね。なお、易では、太極(たいきょく)が二つに分かれて両儀(りょうぎ)になった訳ではありません。太極=両儀ですし、そのまま=四象(ししょう)ですし、=八卦(はっけ)です。八卦のどれ一つをとってもそれは太極であり、太極は八卦です。一は全、全は一です。
そういえば、アレクサンドル・デュマ・ペールの『三銃士』に「一人は皆のために、皆は一人のために」の言葉がありますね。何故か日本のアニメーション『アニメ三銃士』ではアラミスが女性になっていますが……。
ちなみに、これらの話には仏教も関係するのですが、割愛します。
〈『老子』の「道」〉
『老子』の「道」は、単純に言うと「あるがままに生きる」ということです。洋楽で表現するなら、ザ・ビートルズの「レット・イット・ビー」でしょう。
他にも「『なにもない』と考える」などあります。
たぶん一度で理解できる人は少ないでしょう。そして、その理解を老子は否定します。
これは私の意見ですが、そもそも「老子は簡単に理解できるように書いていない」です。
滅びゆく周王室の憂いは、そのまま老子の思想の否定です。一方でそれは儒学の正統性への反対でもあります。
『老子』は別に、戦いに疲れたとか、出世争いに負けたとか、そういう人たちのために書いていません。より貪欲に「権謀術数(けんぼうじゅっすう)――人を欺く謀(はかりごと)をしろ」と書いてあります。つまりは、儒家に対抗する書だということです。
憂いの老子は世を隠れますが、多くの官僚は「帰る場所」がありました。
二千年も前の話です。役人になるには、教養が必要です。教養には対価(時間と金)が必要です。対価を持っていたのは、働かないでも暮らせた上流階級の人たちです。
老子の語る「なにもない」は、そんな上流階級の人たちのいう「なにもない」です。一般人の私たちからすれば、「なんでもある」です。
「帰る場所」があり、逃げて返っても生活できる人たちの謀(はかりごと)です。
それが、平和な時代になり、「権謀術数の書」から「癒しの書」になりました。
※蜂屋邦夫『老子』(NHK出版、2013年)
ちょうど剣術から剣道に――人殺しの術からスポーツになったようなものです。
〈レフ・トルストイ〉
『老子』は、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』を書いたレフ・トルストイに多大な影響を与えました。
『イワンの馬鹿』は『老子』の世界をそのまま描写したものです。
《『老子』の読み方》
一番理解が深まるテキストとしては、アーシュラ・K・ル=グウィンが英語に訳した“Lao Tzu”がオススメです。やさしい英語なので、理解しやすいです。
日本語のテキストは読みにくいものが多く、夏目漱石の弟子の寺田寅彦もドイツ語で『老子』を楽しんだそうです。
どうやら母国語以外で、ゆっくりつきあったほうが良いのかもしれませんね。