「東アジアの思想」という話-20
【春秋五覇-1】
《斉の桓公》
〈管仲〉
『老子』の「大道廃れて、仁義有り」に似たようなことを言った賢人がいます。春秋時代の斉の管仲(かんちゅう)です。
「倉廩実ちて礼節を知る。衣食足りて栄辱を知る」
――『管子』「牧民」
「倉廩(そうりん)」とは、米倉(こめぐら)のことです。米倉がいっぱいになるような裕福になって、ようやく礼儀や節度といったものが大切だと知る訳です。生活がいっぱいいっぱい、それこそ「糊口を凌ぐ(ここうをしのぐ)」「赤貧洗うが如し(せきひんあらうがごとし)」の山上憶良の『貧窮問答歌』状態であれば、何もできませんからね。
「恒産なきものは恒心なし」
――『孟子』「滕文公上」
儒家の孟子の言葉を意訳すると「金もないのに真面目にできるか!」です。#joke
〈管鮑の交り〉
管仲には鮑叔牙(ほうしゅくが)という友人がいました。少年のころから、とても仲が良かったので「管鮑の交り(かんぽうのまじわり)」という故事になっています。美少年ラヴラヴだったかは不明です。#joke
「管鮑の交り」の他にも、「刎頸の交り(ふんけいのまじわり)」があります。戦国時代の趙の藺相如と廉頗です。英語ですと、“David and Jonathan”「ダビデとヨナタン」や“Damon and Pythias”「ダモンとピュティアス」があります。別の機会にしましょう。
〈斉の桓公〉
斉の襄公(じょうこう)には弟が二人いて、糾には管仲が、小白(後の桓公)には鮑叔牙が仕えていました。
※「宋襄の仁」の宋の襄公とは別人です。襄公(宋)は、別の機会にしましょう。
襄公(斉)は妹の文姜(ぶんきょう)とラヴラヴ(!)でした。これは本当です。文姜は魯の桓公に嫁ぎます。
※斉の桓公と、魯の桓公は別人です。
※中国史では、イギリスの薔薇戦争のランカスター家とヨーク家のように、名前が同じ人がいっぱい登場します。ウィリアム・シェイクスピアは同じ名前の人が殺し合っていると表現していました。
桓公(魯)夫婦が斉に来たときに、襄公は妹の文姜とついラヴラヴしちゃいます。で、夫の桓公(魯)に知られてしまいます。
暗殺です。
桓公(魯)の暗殺には成功するものの、襄公(斉)は他にもいろいろやっていたので、結局は殺されてしまいます。
となると、後継者は、糾か小白です。管仲は小白を暗殺します。――が、失敗します。
小白は桓公となり、糾を殺しました。もちろん暗殺者管仲も殺すつもりでしたが、鮑叔牙に「春秋の覇者になりたいのであれば、管仲が必要です」と言われ、管仲を採用します。
cf.
『「東アジアの思想」という話-13』【前漢】「国士無双」
https://ik137.com/eat-013
鮑叔牙と管仲の功績から、斉の桓公は春秋五覇の一となります。
桓公の歴史的評価は高いです。何しろ、自分を殺そうとした管仲を権力の中枢に置いたのですから……。