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「東アジアの思想」という話-004

「東アジアの思想」という話-4

【神話の時代(三皇五帝)】
アブラハムの宗教では、「知恵の樹の実を食べること」によって「知恵ある人」“Homo sapiens”になりました。しかし、それは原罪という重荷を背負うことにもなりました。

一方、東アジアの思想では、「漢字が理解できること」によって文明人となります。しかし、それは常に教化される――教えられるということを意味します。私たち「凡人は常に教えられる」訳です。誰に? それは東アジアの思想である「儒教(儒学)が定めた聖人・君子」によってです。

中国の神話の時代には三皇五帝がいたとされています。

《三皇》
〈伏羲(ふっき)〉
〈神農(しんのう)〉
〈女媧(じょか)〉

三皇の前に、燧人(すいじん)という帝王がいました。火を教えたといわれています。ギリシア神話では、プロメテウスにあたりますね。プロメテウスについては別の機会にしましょう。

〈伏羲〉
人首蛇身の帝王。天地の理である八卦を描き、書契(文字)をつくったとされています。

〈神農〉
人身牛首の帝王。耕作を教えて、八卦から六十四爻をつくったとされています。五行の火の徳から炎帝とも言われます。百草をなめて医薬をつくりました。実在したかどうか不明ですが、のちの漢代に『神農本草経』という本があり、原本は失われましたが、480年ごろに陶弘景が増補・編集しました。薬局の変なイラストや像はこの人(神?)です。

〈女媧〉
伏羲とは兄妹あるいは夫婦とされています。人面蛇身の皇帝です。伏羲と共に泥から人をつくったそうです。

三皇の内容はゆれています。女媧ではなく五帝の黄帝を加えて伏羲・神農・黄帝としたり、先の燧人を入れて燧人・伏羲・神農とすることもあります。また、天地人の三つの才(働き)から、天皇・地皇・人皇とする場合もあります。まま伝説ですからね。適当に考えましょう。
※三皇の天皇は、日本の天皇とは違います。

《五帝》
〈黄帝(こうてい)〉
〈顓頊(せんぎょく)〉
〈尭(ぎょう)〉
〈舜(しゅん)〉
〈禹(う)〉

〈黄帝〉
いわゆる漢民族の先祖とされている帝王です。中国最古の医学書『黄帝内経』を記したとされています。『神農本草経』と同じく後人の書でしょう。鍼灸も記されています。

どうしてこれほどまで、帝王が医学を勉強するのかと言うと、誰も信用できなかったのでしょうね。そしてまた不老不死の夢もあったのでしょう。

黄帝はけっこうポピュラーな名前です。佐藤製薬のユンケル黄帝液の名前はこちらからです。

なお、黄帝紀元という暦があります。西暦ではイエス・キリストの誕生年(歴史的には紀元前4年ごろ)を基準としていますが、黄帝を基準にする暦です。日本でいうと、日本書紀に記す神武天皇即位の年(紀元前660年)を元年とした皇紀でしょうか。零戦(零式艦上戦闘機)は、1940年(昭和15年)皇紀2600年に採用されたので、下二桁の「00」から零式という名称になりました。

儒教(儒学)ですから、どうして孔子を基準にした孔子紀年にしないのかというと、孔子は紀元前551年に生まれ紀元前479年に没しています。孔子紀年ですと、皇紀(紀元前660年)より新しくなってしまう(!)ので困るからです。黄帝紀元は、西暦より2698年古いです。

記紀伝承上の神武天皇も実在はどうかと思いますが、少なくとも720年に日本の正史である『日本書紀』があり、そこからの歴史は事実でしょう。それに比べて、中華人民共和国の建国は1949年です。まだ100年も経っていない新しい国です。中華民国にしても1912年ですから100年ちょっとです。「正しい」歴史って何でしょうね?

〈顓頊〉
黄帝についで帝王になりました。黄帝の孫です。徳望がありましたが、在位78年で没したそうです。

〈尭〉
中国古伝説上の聖王です。孔子が舜と並んで中国の理想的帝王としました。「尭風舜雨」とは、あまねく行きわたるその徳を風雨の恵みにたとえています。羲和(ぎか)という羲氏と和氏に、暦象をつかさどる官を命じました。はっきりした暦ができた(とされる)訳です。

「鼓腹撃壌」という言葉があります。尭の治世があまりにも平和なので、老人が腹鼓をうって大地を叩いて「帝の力など私には関係ない」と歌っていたというのです。それこそが尭の求めた治世でした。

〈舜〉
聖王です。母を早くに亡くしており、再婚した父は舜を殺そうとしますが、それでも父に孝を尽くしました。尭の摂政となり、その娘二人を妻にしました。尭の没後に帝王となりました。

孔子は、ことさら尭と舜の二人を神聖視しました。儒教(儒学)とは、尭舜のような聖人・君子による、理想の道徳である仁の実践です。慈しむ仁は、忠と恕――真心と思い遣りの両面があります。それらは具体的に礼――社会秩序によってなされます。

『史記』「五帝本紀」によると、舜は尭にチクって、共工(きょうこう)・驩兜(かんとう)・三苗(さんびょう)・鯀(こん)という四柱の悪神を四方に流します。これにより、共工は北狄に、讙兜は南蛮に、三苗は西戎に、鯀は東夷となります。

こうした、聖王の徳に従わない、四方の不順の民族「東夷・西戎・南蛮・北狄」を四夷(しい)と言います。現実的には、流したというよりは、付き合いをやめてしまったんでしょうね。当然、理想社会では人間扱いされません。

〈禹〉
聖王です。中国最古の王朝夏の始祖です。夏は長らく伝説だとされていましたが、どうやらそれらしき文明はあったようです。

この後、夏・殷・周の時代を三代といいます。つづく春秋時代は、紀元前770年の周の東遷から始まります。神話の時代は終わり、人による弱肉強食の時代の始まりです。そうした中にあって、理想の道徳の教えである儒教が生まれました。

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