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「沈黙」という話-013

「沈黙」という話-13

【裏切り】
誰でも知っている裏切者を紹介しましょう。

「敵は本能寺にあり!」

あっ違いますね。明智光秀が亡くなったのは織田信長と同じ1582年です。

「金吾殿ご乱心か!」

1600年の関ヶ原の戦いの小早川秀秋の離反に、松野重元は「納得できるか!」と無断で撤退しました。小早川秀秋が亡くなったのは、1602年です。忠義者の松野重元でしたがその後は主君に恵まれませんでした。

「お前もか、ブルータス!」“Et tu, Brute?”

英語読みでブルータスは、ウィリアム・シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』の主役マルクス・ユニウス・ブルトゥスのことです。ジュリアス・シーザーはガイウス・ユリウス・カエサルの英語読みです。カエサルはブルトゥスを息子のように育てていたので、驚きは計り知れないものがあったのでしょう。
※落胤という噂もあります。

ともあえ、カエサルは紀元前44年に、ブルトゥスは紀元前42年に亡くなっています。カエサルはメチャクチャ格好良いんです。“Veni, vidi, vici”「来た、見た、勝った」などの文才もあり、モテモテでした。だからこそ殺されちゃうんですけどね……。

裏切るのに理由なんてないんですよ。――言語・思想・主義・主張・宗教・民族・人種・性別・政治・体制・国家・個性・感情・情熱……もっともらしい理由は多いですが、本質、理由なんてありません。唯一あるとすれば、そこに境界線があるからです。

【罪の文化】

「日本人のよく言う言葉に『義理ほどつらいものはない』というのがある」
――ルース・ベネディクト『菊と刀―日本文化の型』(社会思想社、1967年)P155

日本文化の研究書である『菊と刀』は戦後の1946年に発行されました。ベネディクトは「第十章 徳のジレンマ」で、日本の文化を「恥の文化」、欧米の文化を「罪の文化」としています。

「真の罪の文化が内面的な罪の自覚にもとづいて善行を行なうのに対して、真の恥の文化は外面的強制力にもとづいて善行を行なう。恥は他人の批評に対する反応である」
――ルース・ベネディクト『菊と刀―日本文化の型』(社会思想社、1967年)P258

罪を犯した人は、懺悔や贖罪で軽減されます。まず告白することで、肩の荷をおろすことができます。カトリック教会の七つの秘跡の一つである「ゆるし」です。罪については、別の機会にしましょう。

【13】
イエス・キリストは13日の金曜日に亡くなったとされています。――嘘ですよ。そんな記述は『聖書』にありません。でも信じてしまうのですよね。人は弱気になると。

英語では13のことを“devil’s dozen”「悪魔のダース」と言います。他にも“Baker’s dozen”「パン屋の1ダース」とも言います。

逆に12はキリがいいです。1、2、3、4、6、12と6個に分けられますから。1年を12か月にしたり、倍数の360を方位にしたり、時間や空間をあらわすのに便利です。13はそれら調和から外れていますからね。

北欧神話では十二神(あるいは十三神)です。ギリシア神話ではオリュンポス十二神です。

【裏切者】
真打ち登場です。

あれは誰だ? あれは誰だ? 誰だ?

幼いころに『デビルマン』の永井豪の原作(1972年―1973年)を読んだんですが、ショックですよ。人の悪行というかそうしたことが全部描かれているんです。ヒロインの牧村美樹が殺されちゃうんですけど、トラウマですよ。トラウマはギリシア語由来で「傷」という意味です。

金髪碧眼の美少年の飛鳥了が、日本人の父と白人の母の子という設定ですが、遺伝子的にありえませんよ。ふつう黒髪黒眼になります。ロマンの欠片もないのが科学です。たまたま飛鳥了の父が金髪碧眼の遺伝子をもっていた可能性もありますが……。

実は飛鳥了は父の子ではありません。『オーメン』が1976年なので、それより前です。「ヨハネの黙示録」の話は獣の数字の回まで続いたらしましょう。

【イスカリオテのユダ】
イスカリオテのユダは、十二使徒の一人です。12人の他に、13番目の裏切者ユダがいる訳ではありません。13とは無関係です。

他の十二使徒が、ペトロやヨハネのように名前だけで呼ばれるのに、どうして「イスカリオテのユダ」と呼ばれるのかというと、もう一人のユダ「タダイのユダ」がいたからです。タダイのユダはあまり登場しませんので、ユダといえば「イスカリオテのユダ」としてください。

ついでにいうと、十二使徒の一人に熱心党のシモンがいますが、これはペトロの本名がシモンであり、イエス・キリストの兄弟にもシモンがいるからです。このあたりは、表記がゆれているので、誰が誰かははっきりしません。イエス・キリストの兄弟については後述します。

ユダは「イスカリオテ」出身なので、わざわざ「イスカリオテのユダ」と呼ばれます。レオナルド・ダ・ヴィンチが、ヴィンチ出身なのと似ています。「オッカムの剃刀」で有名なフランシスコ会のオッカムのウィリアムもオッカム出身です。

さて、他の十二使徒はガリラヤ出身です。一人ユダだけが出自が違うのです。

裏切者といえば、イスカリオテのユダですが、どうして裏切ったのか本当のことは解りません。

そもそも裏切者というならば、イエス・キリストが十字架にかけられたとき、全員逃げ出しています。

確かに、ユダはイエス・キリストを裏切りました。しかし、その他の10人は逃げています。

後述しますが、「あなたのためなら死をも厭わない」と言った人ですら「あいつとは関係ない」と関係を否定しています。

だいたい「一生ついていきます」という人ほど、危機的になったら沈没船のネズミのように消えますからね。『振り返れば奴がいる』のは西村雅彦ぐらいです。

「困ったら振り返りな。そこに俺がいる」
“But if you ever need me for something, I’ll be there.”
――“Streets of Fire” 1984

こちらは、ウォルター・ヒル監督、マイケル・パレ/ダイアン・レイン/ウィレム・デフォー主演『ストリート・オブ・ファイヤー』です。

唯一イエス・キリストのそばにいたのは、「イエスの愛しておられた弟子」だけです。「ヨハネによる福音書」だけに登場するので、一般には使徒ヨハネだとされています。

さて問題です。「イエスの愛しておられた弟子」を使徒ヨハネだとすると、その場合の「愛」とは何でしょうか。少年だとするとカトリック教会は同性愛を禁止していますから問題ですし、女性だとすると使徒に女性がいるのは問題です。使徒ヨハネについては後述します。

イスカリオテのユダは銀貨30枚でイエス・キリストを売ります。――「マタイによる福音書」第26章第14節

最後の晩餐でイエス・キリストが「この中に裏切者がいる」と言い、「まさか、私ではないですよね?」と言うユダに、イエス・キリストは「あなただ」と言います。――「マタイによる福音書」第26章第20-25節

ペテロは誰が裏切者か分からないので、イエスの愛しておられた弟子(ヨハネ)にイエス・キリストに聞いてくれと言います。その弟子が聞くと「私が一片のパンを与えた者がその人です」と答えます。イエス・キリストがイスカリオテのユダに一片のパンを与え「しようとしていることを、今すぐになさい」と言います。――「ヨハネによる福音書」第13章第22-27節

この場合の「しようとしていることを、今すぐになさい」とは、イエス・キリストが積極的に裏切れと言っている訳ではありません。裏切者が確定したので、イスカリオテのユダに「しようとしていることを、今すぐになさい」と言っているだけです。

この言葉はいろいろなところで引用され、脚色されています。シェイクスピアの四大悲劇の『マクベス』で、スコットランド王ダンカンを裏切り暗殺する前に、マクベスは“If it were done, when ‘tis done, then ‘twer well, it were done quickly.”と言っています。

ちょっと支離滅裂で訳しにくいんですけど、「もしやってしまったなら、やってしまったし、それはそれ、すぐにやってしまった」かしら。『マクベス』は別の機会にしましょう。大好きです。

いろいろ問題があるのですが、キリスト教は「イエス・キリストは十字架にかけられて亡くなるも、三日目に復活した」というのが教義です。

十字架にかけられなければ死にませんし、死ななければ復活もしません。

このころはまだユダヤ教のイエス・キリスト分派だったはずです。

イエス・キリストは、逃げません。それどころか、愛弟子ユダにキスされて本人だと特定されて捕まります。まま本人特定ができにくい状況だったので、弟子も逃げられた訳ですが。なお、江戸時代の指名手配の人相書には、似顔絵は書かれていませんでした。

結局のところ、イスカリオテのユダはイエス・キリストが神の子になるための生贄だったのかもしれません。キリスト教では認められませんが、哀れな役です。

その後、悔いたユダは、銀貨30枚を返金しようとしますが「知ったことか。自分で始末しろ」と言われ、銀貨30枚を神殿に投げ込み、首を吊って自殺しました。――「マタイによる福音書」第27章第3-5節

あるいは、不義の報酬で手に入れた土地に真っ逆さまに落ちて、内臓をブチまけて死んだそうです。――「使徒言行録」第1章第18節

ダンテ・アリギエーリの『神曲』には裏切者がどうなったか書かれています。#blackjoke

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