「東アジアの思想」という話-19
【『老子』の思想的世界-5】
《「道」の比喩》
正統儒家の考え方を完全に否定したのが、『老子』第18章です。
「大道(たいどう)廃(すた)れて、仁義(じんぎ)有り。智慧(ちえ)出(い)でて、大偽(たいぎ)有り。六親(りくしん)和せずして、孝慈(こうじ)有り。国家昏乱(こんらん)して、貞臣(ていしん)有り」
「すぐれた真実の『道』が衰えて、そこで仁愛と正義を徳として強調することが始まった。人の知恵とさかしらがあらわれて、そこでたがいにだましあうひどい偽(いつわ)りごとが起こった。身内の家族が不和になって、そこで子供の孝行と親の慈愛が徳として強調されるようになった。国家がひどく乱れて、そこで忠義な臣下というものがあらわれた」
――金谷治『老子』(講談社、1997年)P68
たぶん、『易経』から読み始めても、『老子』の「道」のなんたるかは理解できないでしょう。本来、「道」と私たちとの違いはありませんが、「デカルトの申し子」である私たちには、何か異質な感じがあって当然だからです。『荘子』ではそれを「物化(ぶっか)」としています。後述しますね。
解りにくいので、比喩を使ってみましょう。
儒家では「風が草をなびかせるように、君子の徳が小人を教化する」(『論語』「顔淵」)ことから「君子の徳は風」という比喩を使っています。
応用して、「道」と「徳」を、「大河(川)」と「水」だと考えてみましょう。
※私の考え方なので、学術的ではありません。
「いつのころからでしょう。慈しみの雨が降らなくなってしまいました。かつては溢(あふ)れんばかりの水(徳)を湛(たた)えていた大きな河(道)も水位が低くなり、川底が中州になりました。中州は干上がり、もはや陸(おか)になっています。今では大河(道)も小さな川(仁義)がいくつかあるばかりです。水(徳)が少なくなったので、悪知恵から嘘をついて水(徳)を手に入れる世の中になりました。昔は仲良くしていた家族でも同じことです。親はどの子もかわいいですが、やはり孝行してくれる子に水(徳)を与えるものです。水(徳)争いから国が乱れました。それでも忠義をつくす臣下はいつの時代もいるのです」
「大道廃れて、仁義有り」――容赦ないです。
老子は言います。「そもそもこうなったのも、あなたたち(儒家)の責任ですよね?」と。#blackjoke
そこまで言っていませんが、老子は「根本的なことをどうにかしましょう」と言っています。大河(道)が消えて、水(徳)が少なくなっているのに、小さな川(仁義)を喜んでどうするのかということです。
大河(道)を復活させるには、慈しみの雨(純粋無垢な徳)を降らせる必要があります。そのためには、個人の器を割って、たとえ一滴でもいいので小さな川に流す(仁義を行う)ことです。小さな川は、大洋に続きます。やがて慈雨も降るでしょう。
なお、比喩では『老子』の「道」を理解したことにはなりません。「道」と一つになり、それでいて個人があることです。
大久保健晴「思想を語る上で、右や左といった横方向だけでは不十分です。ぜひとも浅い深いといった縦方向も考えてください。単純な左右だけではなく、その深みを十二分に考えた思想を論じてください」