解説『犬神家の一族』スケキヨの素顔〈A面〉2

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解説『犬神家の一族』スケキヨの素顔〈A面〉2

〈登場人物〉
「信州財界の一巨頭、犬神財閥の創始者、日本の生糸王といわれる犬神佐兵衛(いぬがみさへえ)翁が、八十一歳の高齢をもって、信州那須湖畔(なすこはん)にある本宅で永眠したのは、昭和二十X年二月のことであった」
――横溝正史『犬神家の一族』(角川書店、1972年(改版1996年))P10

開闢(かいびゃく)――物語のはじめ、犬神佐兵衛臨終の枕頭(ちんとう)に侍(じ)した犬神家の一族は、9名+1名でした。

*犬神松子(いぬがみまつこ)――佐兵衛の長女。那須市の本店の支配人だった夫は故人。
*犬神竹子(いぬがみたけこ)――佐兵衛の次女。
・犬神寅之助(いぬがみとらのすけ)――竹子の夫。東京支店の支配人。
・犬神佐武(いぬがみすけたけ)――竹子の息子。
・犬神小夜子(いぬがみさよこ)――竹子の娘。美人。
*犬神梅子(いぬがみうめこ)――佐兵衛の三女。
・犬神幸吉(いぬがみこうきち)――梅子の夫。神戸支店の支配人。
・犬神佐智(いぬがみすけとも)――梅子の息子。
*野々宮珠世(ののみやたまよ)――佐兵衛の恩人である野々宮大弐(ののみやだいに)の孫。絶世の美人。

〈あらすじ1〉犬神佐兵衛の生涯
犬神佐兵衛は17歳まで孤児で、国から国へと流れ歩いていました。あるとき那須湖畔の那須神社の拝殿の床下で倒れているところを神官(しんかん)の野々宮大弐に助けられます。野々宮大弐は妻の野々宮晴世(ののみやはるよ)に命じて介抱させました。このとき野々宮大弐は42歳、野々宮晴世は22歳でした。

「この晴世というひとは、神のごとくやさしく、しかもその美しさときたら神々しいばかりであったという」
――横溝正史『犬神家の一族』(角川書店、1972年(改版1996年))P7

野々宮大弐はそのままこの地にとどまるようにすすめ、無学な犬神佐兵衛に教育をほどこします。というのも、犬神佐兵衛はたぐいまれな美少年だったらしく、野々宮大弐がその色をめでたからでした。

キャー!

衆道(しゅどう)――同性愛、今でいうBL(ボーイズ・ラヴ)です。腐女子が喜ぶ展開ですが、この時代はそうそう変なことではなく、ルース・ベネディクト(Ruth Benedict、1887年6月5日―1948年9月17日)の『菊と刀―日本文化の様式(The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture)』(1946年)にあるように「旧時代の日本においては、同性愛は、武士や僧侶のような、高位の人びとの公認の楽しみであった」のです。
――ルース・ベネディクト著、長谷川松治訳『菊と刀―日本文化の型』(社会思想社、1967年)P215―P216

ただ、野々宮大弐の寵愛は度を越していたらしく、野々宮晴世が一時実家にかえるほどでした。それも犬神佐兵衛が家を出ることで決着がつきました。

やがて野々宮晴世は一子祝子(のりこ)をあげます。

野々宮大弐の斡旋で、小さな製糸工場に勤めることになった犬神佐兵衛ですが、数年かかって習うことを一年で習得してしまいます。製糸工場の機構と生糸販売を学ぶと、独立します。

そのあとはとんとん拍子でした。日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦を経(へ)て、生糸を輸出していた犬神製糸会社は日本一流の大会社になります。

犬神佐兵衛が自分の工場を持つときに出資したのが、野々宮大弐でした。ですから、犬神佐兵衛にとって野々宮大弐は終生忘れることができない恩人でした。

その野々宮大弐が明治44年68歳でみまかります。犬神佐兵衛は忘れ形見の野々宮祝子に養子を斡旋して神官を継がせます。野々宮祝子と養子になかなか子供ができませんでしたが、ようやく大正13年にはじめて女の子が生まれました。それが野々宮珠世(ののみやたまよ)です。

野々宮珠世が生まれたときには、祖母の野々宮晴世も亡くなっていました。また野々宮珠世が二十歳になるまえに、父母とも亡くなってしまったので、犬神家に引き取られます。

犬神佐兵衛にとって、野々宮珠世は大事な主家の忘れ形見ですから、下にもおかぬ丁重(ていちょう)な、客分扱いでした。佐兵衛翁(おう)の臨終の席に、一族ではない野々宮珠世がいた理由もこうしたことがあったからです。

それに、野々宮大弐という人はたいへん清廉(せいれん)だったらしく、犬神佐兵衛の事業に投資した金額に若干の利益を加えたもの以外、犬神佐兵衛がどんなに言っても受け取りませんでした。ですから、野々宮珠世にもそれなりの相続があっても不思議はありませんでした。

先に9名+1名としましたが、もう一人います。松子の息子の犬神佐清(いぬがみすけきよ)です。ビルマから便りがあり、生きていることはわかっていたのですが、いつ復員(ふくいん)――帰郷するのか分からない状態でした。

佐兵衛翁の遺言状は、犬神佐清が復員したとき開封されることになっています。遺言状(遺言書)を預かるのは、臨終の際にもいた古館法律事務所の所長で、犬神家の顧問弁護士の古館恭三(ふるだてきょうぞう)です。

佐兵衛翁が亡くなって八か月、金田一耕助が那須にやってきます。というのも、古館法律事務所の若林豊一郎(わかばやしとよいちろう)から不吉な手紙が届いたからでした……。

そして、犬神佐清(スケキヨ)が那須に帰ってきます。

〈遺言1〉旧民法と現行法
「遺言」はふつう「ゆいごん」と読みますが、法律では「いごん」と読みます。

もうそう聞いただけでも頭が痛くなる人は多いでしょう。はっきり言ってややこしいです。実際問題、亡くなった被相続人の意思である遺言を尊重するというのは、けっこう大変です。

残された相続人たちは、絶対にモメますから。

遺言書があればまだマシですが、なければ遺産分割協議書(いさんぶんかつきょうぎしょ)を作らないといけません。これがまた手間でして……。

モメると、ほんと幼いころに赤トンボを取った取らないとかそんな話にもなります。

※税務での実話です。

後述のように、犬神佐兵衛の遺言書はかなり特殊です。

それに加えてより複雑にしているのが、松子・竹子・梅子の三人の立場です。実は、松子・竹子・梅子は異母姉妹なのです。というのも、犬神佐兵衛は生涯正妻を娶(めと)らなかったからです。

それぞれが違う側室(そくしつ)――妾(めかけ)の子ですから、かなり仲が悪いです。犬神佐兵衛は、側室はおろか三人の娘にさえ愛情を見せたことがない人でしたから、性格が歪(ゆが)むのも、まま分からなくはありません。

※物語では三人の母は亡くなっています。

とすると、松子・竹子・梅子は昔でいう「庶子(しょし)」――現行法の「非嫡出子(ひちゃくしゅつし)」です。「婚外子(こんがいし)」といったほうが妥当でしょうか。

そういえば、『ファントム無頼』の栗原宏美(くりはらひろよし)が妾腹でしたね……。
――史村翔原作、新谷かおる作画『ファントム無頼』(小学館、1978年―1984年)

昔は、嫡出子(正室の子)であることは、遺産相続の立場では絶大でした。三人とも犬神姓を名乗っていますから、犬神佐兵衛の戸籍には入っています。しかし庶子(しょし)、それも女性では相当不利なのです。

順番にすると次のようになります。

1.男性(嫡出子)
2.男性(庶子)
3.女性(嫡出子)
4.女性(庶子)

三人は最後の最後、かなり危うい立場です。もし犬神佐兵衛に男児があったなら、とてもとても困ることになります。

ここで推論するなら、松子・竹子・梅子の三人に愛情を感じていなかった犬神佐兵衛のことです、それぞれが男子をえてから籍に入ることができたとみるほうが妥当でしょうか。シビアな見方ですが……。

そういえば、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)の失地王『ジョン王(King John)』に庶子が出てきますが、あれはイイですね。ああした生き方も楽しいでしょう。

前述のように、昔の戸主(こしゅ)は、一族の全権を担っています。家督(かとく)――全財産総取りだった訳です。

※旧民法では、家督相続とは別に遺産相続もありましたが、こちらは戸主でない人の相続ですから今回は割愛します。

ですが、現行法ではそれぞれの相続人に対して遺留分(いりゅうぶん)が認められています。

現行法の遺留分では、被相続人の財産の1/2の割合をもらえます。被相続人が「全然、知らない人に全部あげます」と遺言しても、その半分は確保できます。

他に嫡出子がいない場合、単純に松子・竹子・梅子がそれぞれ、1/3ずつになるはずです。もっとも、それぞれの夫が犬神佐兵衛の養子になっているでしょうから、松子夫妻(1/6+1/6)・竹子夫妻(1/6+1/6)・梅子夫妻(1/6+1/6)となるでしょう。こちらでも、割合は変わりません。

※嫡出子と非嫡出子の差については、現行法の「民法900条4号」により差がないとします。

遺留分を考えても、それぞれの夫妻は1/3の半分の1/6を手に入れることができます。ままかなり莫大な相続でしょう。

他にも、孫の佐清・佐武・佐智が、犬神佐兵衛の養子(節税養子)になる方法もありますが、相続税法上の養子は、養親に実子がいる場合1人しか法定相続人に算入されませんので割愛します。

ただし、これは現行法です。旧民法では総取りで、状況がまったく違うのです。

もっとも、より詳しくいうと旧民法でも遺留分があるようですが(※)、今回は無視します。話が進まなくなりますので。

【要確認】※旧民法でも遺留分を調べること。現行法に留意すること。

というのも、1947年(昭和22年)12月22日に民法が改定されています。雑誌の掲載は、1950年(昭和25年)1月号―1951年(昭和26年)5月号までですから、新民法だと明らかにおかしいのです。

登場人物の年齢から逆算すると、昭和24年の設定となります。

冒頭の「昭和二十X年二月のことであった」というのも、それぞれの法律をぼかしています。エンターテインメント(娯楽)作品ですから、気楽に考えましょう。特に、相続税についてはまったく関与したくありません……。

〈斧(よき)〉
まず最初に、「斧(おの)」は「よき」と読むのかどうか不思議でしょう。

簡単に調べた結論からいうと「斧」は「よき」と読みます。

斧には樋(ひ)(※)と言われる溝があります。片側に3本、反対側に4本、合計7本あります。この3本は「ミキ」つまり神酒(みき)を表わし、4本は「ヨキ」で地水火風を表しているのだそうです。木を伐採するときに、神酒と供物を供えるかわりに斧を使って、拝んでいたそうです。また、3は「み」で4は「よ」ですから、「みよけ」として「魔除け(まよけ)」の意味あいもあったのだそうです。

【要確認】樋(ひ)を調べること。斧と日本刀の両方。

どうやら小型の「斧」を「よき」と読むのは間違いないようです。

日本刀にも樋(ひ)あるので、こちらも後日調べることにします。二筋樋(にすじひ、ふたすじひ)は美しいですからね……。

ただ、山の関係は、書籍が少ないのですよ……。

大型の斧は「鉞(まさかり)」です。金太郎、のちの坂田金時(さかたのきんとき)が担いでいるアレです。

源頼光(みなもとのよりみつ)の頼光四天王の一人、坂田金時は伝説の多い人物です。他に、渡辺綱(わたなべのつな)、碓井貞光(うすいさだみつ)、卜部季武(うらべのすえたけ)がいます。

渡辺綱が名刀「髭切(ひげきり)」で、一条戻橋で鬼の腕を斬った話は有名ですね。もっとも取り戻されてしまいますが……。長くなるので、別の機会にしましょう。

他にもイソップ寓話の「金の斧」が登場します。原本では泉の女神ではなく、ヘルメスが出てきます。ギリシア神話についても、別の機会にしましょう。

【要確認】――イソップ、中務哲郎訳『イソップ寓話集』(岩波書店、1999年)

「斧(よき)」――よいことを切り開くものとしては斧はよい象徴です。

〈琴(こと)〉
次に「琴(こと)」ですが、物語に生田(いくた)流の琴の師匠、宮川香琴(みやかわこうきん)が出てきます。病で目が悪く、額に傷がありますが、とても上品な人です。犬神松子は、宮川香琴に「琴(こと)」を習っています。

一般に「琴(こと)」と呼ばれていますが、もとは「箏(そう)」という楽器です。琴(きん)と箏(そう)は別の楽器だったのですが、箏の十三弦を日本では古く「箏の琴(そうのこと)」といい、今では「琴(こと)」とあてています。ですから今でも琴の曲を「箏曲(そうきょく)」と言います。

ギリシア神話に、竪琴の名手オルフェウスの話があります。オルフェウスは亡くなったエウリュディケを探すために冥府(めいふ)に旅立ちます。ですが、「見るなの禁忌(タブー)」で、会うことができませんでした。「見るなの禁忌(タブー)」については、別の機会にしましょう。
――トマス・ブルフィンチ、大久保博訳『完訳 ギリシア・ローマ神話』(角川書店、1970年)

共鳴するあわい心情を「琴線(きんせん)に触れる」と言います。

「琴(こと)」―一つ一つ重なる十三の琴の音はとても縁起のよいものです。

〈菊(きく)〉
最後の「菊(きく)」ですが、語るまでもないでしょう。

前述のルース・ベネディクトの『菊と刀』は一読の価値ありです。

そういえば、映画『ハリー・ポッターと賢者の石(Harry Potter and the Philosopher’s Stone)』(2001年)で、アルバス・ダンブルドア校長を演じたリチャード・ハリス(Richard Harris、1930年10月1日―2002年10月25日)が主演した映画『殺し屋ハリー/華麗なる挑戦(99 and 44/100% Dead)』(1974年)で、リチャード・ハリスが使っていた銃FNブローニング・ハイパワー(FN Browning Hi-Power)のグリップが菊と薔薇(ばら)でした。

まじめな話をすると、9月9日の節句の重陽(ちょうよう)が、菊の節句です。

他に1月7日、3月3日、5月5日、7月7日がありますが、割愛します。

「菊(きく)」――重陽のように菊は祝いごとに最適です。

〈謎染〉
長く書きましたが、〈斧・琴・菊(よき・こと・きく)〉にはもう一つ、謎染(なぞぞめ)としての意味があります。

謎染は、絵で文字を読み解くクイズです。〈斧・琴・菊(よき・こと・きく)〉は、「善き事聞く」と読めます。もっとも琴は箏本体ではなく、弦(げん)を支える琴柱(ことじ)がデザインささています。

歌舞伎(かぶき)役者の音羽屋(おとわや)尾上菊五郎(おのえきくごろう)の役者文様が「斧琴菊」です。

こちらは、成田屋(なりたや)市川團十郞(いちかわだんじゅうろう)の役者文様の「鎌輪ぬ(かまわぬ)」に対抗したのがはじまりだとか。「鎌輪ぬ(かまわぬ)」は「鎌」「輪」「ぬ」がデザインされています。「ぬ」を「輪」で囲ったものもあります。

それぞれの手拭(てぬぐ)いもあります。もっぱら「斧琴菊」は女性が、「鎌輪ぬ」は男性が好んだようです。

当時とすれば、〈斧・琴・菊(よき・こと・きく)〉はけっこう庶民的で馴染み深いものだったのです。

〈犬神について〉
逆に、「犬神(いぬがみ)」については、当時の人は知ってはいるけれど、誰も話したがらない事でした。

犬神は、四国などに伝わる憑物(つきもの)の一種です。憑物は、人にのりうつる霊のことです。いわゆる「もののけ」です。

呪術(じゅじゅつ)――呪いとしての犬神もありますが、詳細は割愛します。

人はみな、犬神の血筋とは触れるのも嫌がり、絶対に血縁関係をもたなかったのです。

その一族が、美しい信州那須湖畔にいる……。かなりおどろおどろしい設定です。

現代では、憑物はさまざまな病気の一つだと考えることができますが、昔の人には驚異だったことでしょう。

ちなみに、狂犬病という病気があります。発症すれば、ほぼ確実に死亡します。

なお、歌舞伎舞踊に『犬神』――本名題(ほんなだい)『恋罠奇掛合(こいのわなてくだのかけあい)』がありますが、割愛します。

関係ありませんが、最初の遣唐使に犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)がいましたね……。

〈あらすじ2〉第一の殺人
昭和2X年10月18日、那須湖畔の那須ホテルに金田一耕助が部屋をとりました。湖水に面した二階の座敷に案内されると、室内電話を外線につないでもらい、一時間後に会う約束をしました。

縁側に椅子(いす)を持ち出して、犬神奉公会(ほうこうかい)から発行された『犬神佐兵衛伝』をパラパラとめくり、金田一耕助を呼び寄せた不吉な手紙を取り出しました。

そこには「容易ならぬ事態」「血みどろな事件」「犠牲者」といった言葉がつづってあります。書いた人物はこれから殺人事件がおこることを予想して、金田一耕助に助けを求めたのです。

ふだんなら一笑(いっしょう)に付(ふ)すようなことも、差出人が法律事務所に勤務している人物からとなると、そうもできません。弁護士か弁護士の見習生です。とても嘘をつくような職業ではありません。

犬神家の場所を聞くついでに、女中に犬神佐清のことを尋ねると、もうすぐ東京の屋敷から帰ってくるとのこと。

犬神家の水門が開くと、ボートが一艘(いっそう)すべり出しました。野々宮珠世です。

金田一耕助が双眼鏡で「お顔拝見」すると、戦慄(せんりつ)的な美しさでした。

『獄門島』の鬼頭早苗に振られて三年、この冬に『女怪』の持田虹子に死なれて傷心し、一か月ほど北海道に旅していた金田一耕助でさえ、この世のものとは思えない美しさでした。

見とれていた金田一耕助でしたが、野々宮珠世の異変に気づきます。ボートが沈んでいるのです。

女中の案内でボートに乗ると、金田一耕助が満身の力をこめて漕ぎ出しました。

※ちなみに、金田一耕助が力仕事をするのは滅多にありません。

金田一耕助より先に野々宮珠世を助けたのは、猿蔵(さるぞう)でした。本名は別にあるのですが、猿に似ているからそう呼ばれています。野々宮珠世の忠実な下僕(げぼく)です。

金田一耕助のボートに二人を乗せると、猿蔵が三回目だと口にします。一度目は蝮(まむし)、二度目は自動車のブレーキの故障、そしてボートに穴です。誰かが、野々宮珠世の生命を狙っているらしいのです。

二人を送り届けた金田一耕助が宿に戻ると、手紙の差出人である若林豊一郎が毒殺されていました。

〈殺害方法1〉毒殺
不文律に「一度目は滅多にないこと。二度目は偶然。三度目は故意」とあります。

毒蛇、ブレーキの故障、ボートに穴。およそ的確に欠ける殺し方です。詰(つ)めが甘いとしか言いようがありません。

手塚治虫『バンパイヤ』(1966年―1969年)で、間久部緑郎(まくべろくろう、ロック)は大西ミカの両親である大西夫婦を殺すのに、ブレーキの故障を使っていますが、故障に気づかないほど、ロックは精神的に夫妻を追い込んでいます。

その三種類とは別に、若林豊一郎は一本の外国煙草(たばこ)から殺されています。シガレットケースには他に毒物の混ざっていた煙草はありません。確実に殺すとしても、いつ死ぬか分からない状態です。

こちらも不可解です。若林豊一郎の口を塞(ふさ)ぐのであれば、すぐに殺すべきです。あの時、野々宮珠世のボートが沈まなかったら、金田一耕助が助けに行かず部屋で待っていたなら、もっと早く解決していたかもしれないのですから。

前述のとおり横溝正史は薬剤師でした。しかし、毒物に関しての記述はほとんどありません。

〈あらすじ3〉不可解な遺言状
11月1日。もうすぐ帰ってくるといった犬神佐清がようやく那須に戻ります。しかしその顔にはひどい怪我(けが)があり、美しいマスクをしていました。

ようやく遺言状が古館弁護士によって読み上げられます。

「ひとつ……犬神家の全財産、ならびに全事業の相続権を意味する、犬神家の三種の家宝、斧(よき)、琴、菊はつぎの条件のもとに野々宮珠世に譲られるものとす」

「ひとつ。……ただし野々宮珠世はその配偶者を、犬神佐兵衛の三人の孫、佐清、佐武、佐智の中より選ばざるべからず。その選択は野々宮珠世の自由なるも、もし、珠世にして三人のうちの何人(なんぴと)も結婚することを肯(がえん)ぜず、他に配偶者を選ぶ場合は、珠世は斧、琴、菊の相続権を喪失するものとす。……」

「ひとつ。……野々宮珠世はこの遺言状が公表されたる日より数えて、三か月以内に、佐清、佐武、佐智の三人のうちより、配偶者を選ばざるべからず。もし、その際、珠世の選びし相手にして、その結婚を拒否する場合には、そのものは犬神家の相続に関する、あらゆる権利を放棄せしものと認む。したがって、三人が三人とも、珠世との結婚を希望せざる場合、あるいは三人が三人とも、死亡せる場合においては、珠世は第二項の義務より解放され、何人と結婚するも自由とす」

「ひとつ。……もし、野々宮珠世にして、斧(よき)、琴、菊の相続権を失うか、あるいはまたこの遺言状公表以前、もしくは、この遺言状が公表されてより、三か月以内に死亡せる場合には、犬神家の全事業は、佐清によって相続され、佐武、佐智のふたりは、現在かれらの父があるポストによって、佐清の事業経営を補佐するものとす。しかして、犬神家の全財産は、犬神奉公会によって、公平に五等分され、その五分の一ずつを、佐清、佐武、佐智にあたえ、残りの五分の二を青沼菊乃(あおぬまきくの)の一子青沼静馬(しずま)にあたえるものとす。ただし、その際分与をうけたるものは、各自の分与額の二十パーセントずつを、犬神奉公会に寄付せざるべからず」

「ひとつ。……犬神奉公会は、この遺言状が公表されてより、三か月以内に全力をあげて、青沼静馬の行方の捜索発見せざるべからず。しかして、その期間内にその消息がつかみえざる場合か、あるいはかれの死亡が確認された場合には、かれの受くべき全額を犬神奉公会に寄付するものとす。ただし、青沼静馬が、内地において発見されざる場合においても、かれが外地のいずれかにおいて、生存せる可能性ある場合には、この遺言状の公表されたる日より数えて向こう三か年は、その額を犬神奉公会において保管し、その期間内に静馬が帰還せる際は、かれの受くべき分をかれに与え、帰還せざる場合においては、それを犬神奉公会におさむることとす」

「ひとつ。……野々宮珠世が斧琴菊の相続権を失うか、あるいはこの遺言状の公表以前、もしくは公表されてより三か月以内に死亡せる場合において、佐清、佐武、佐智の三人のうちに不幸ある場合はつぎのごとくなす。その一、佐清の死亡せる場合。犬神家の全事業は協同者としての佐武、佐智に譲らる。佐武、佐智は同等の権力をもち、一致協力して犬神家の事業を守り育てざるべからず。ただし、佐清の受くべき遺産の分与額は、青沼静馬にいくものとする。その二、佐武、佐智のうち一人死亡せる場合。その分与額同じく青沼静馬にいくものとする。以下、すべてそれに準じ、三人のうち何人が死亡せる場合においても、その分与額は必ず青沼静馬にいくものとなし、それらの額のすべては、静馬の生存如何により前項のごとく処理す。しかして佐清、佐武、佐智の三人とも死亡せる場合に於ては、犬神家の全事業、全財産はすべて青沼静馬の享受することとなり、斧、琴、菊の三種の家宝は、かれにおくられるものとなす」
――横溝正史『犬神家の一族』(角川書店、1972年(改版1996年))P65―P70

「うそです! うそです! その遺言状はにせものです」

そう叫んだのは長女松子でした。

しかし古館弁護士は、遺言状が法的にクリアしていると宣言します。

犬神佐兵衛と青沼菊乃(あおぬまきくの)との関係は何なのでしょうか。そして青沼菊乃の一子青沼静馬(あおぬましずま)とは?

その後、那須ホテルで疲れ切った古館弁護士が、金田一耕助に説明します。

五十をすぎた犬神佐兵衛が恋した女性が青沼菊乃(あおぬまきくの)でした。そして、青沼静馬(あおぬましずま)は、犬神佐兵衛の唯一の直系男子なのです……。

〈遺言2〉遺言状の内容
こんな遺言状、よく作りましたね……。ままややこしい遺言状は多々あれど、これほどは見たことがありません。

もちろん作者が意図的に作っているのですが、それにしても変です。まま、その変にしてもネタバレからすると、なるほどという分ではありますが……。

簡単に説明しますね。

野々宮珠世が戸主に選ばれています。女性の場合は刀自(とじ)というのですが、女性でも戸主になることができます。これは問題ありません。

ただし、野々宮珠世は佐清・佐武・佐智の中から配偶者を選ばなくてはなりません。誰も選ばなければ、相続権を喪失してしまいます。

三か月以内に決めることが条件ですが、相手が拒否した場合はその相手はあらゆる権利を失います。三人が三人とも拒否した場合、あるいは三人が三人とも死亡した場合は、野々宮珠世は誰とでも結婚できます。

野々宮珠世が相続権を失うか亡くなった場合は、全事業は佐清が相続して、佐武・佐智がサポート。ただし、全財産は5等分して、佐清1/5、佐武1/5、佐智1/5、青沼静馬2/5。うち20%が犬神奉公会です。

青沼静馬が生きていようが死んでいようが、佐清・佐武・佐智に財産はいかず、犬神奉公会のものになります。

野々宮珠世が相続権を失うか亡くなった場合で、佐清も亡くなった場合は、全事業は佐武・佐智で半分半分。ただし、佐清の財産分は犬神奉公会に。佐武・佐智のどちらが亡くなったときでも財産分は犬神奉公会に。佐清・佐武・佐智全員が亡くなった場合は、全事業・全財産は青沼静馬に。

青沼静馬は、「2.男性(庶子)」です。それがどうして、野々宮珠世が権利を失ったあとでしか、権利を受けられないのかかなり疑問があります。

そもそも、いくら恩があるといっても野々宮珠世は、犬神佐兵衛にとって「他人」です。相続税が恐いです……。

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